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空の素晴らしさを味わえる家
道草氏にとって、彼は気のいい隣人のようだ。自分もいろんな生き物の一種に過ぎないと思う。(下窪俊哉「道草氏の生活と意見」〜『アフリカ』2018年4月号)
「彼」というのは、道草の家に寄り添うように立っているタイサンボクのこと(「道草氏」というのは、ぼくが自分をフィクションに仕立てて書いたわけ)。
「道草氏の生活と意見」の、この箇所には、ぼくがいつも書きものをしたり仕事をしたり、本を読んでビールを(珈琲を)飲んでいたりするテーブル(数日前の「物たちとの暮らし」で書いた)のあるところの窓から見える眺めを、ことばで表現してある。
風景描写というのは、何となくだけど、移動している方が書きやすい。本当はパッと見えるものを時間かけて言わなければ(読ませなければ)いけなくなるから。
しかしこの窓から見える景色は、変化している。歩きながら見たり、電車に乗って見たりするのに比べると遥かにゆっくりとした動きだが。雲はどんどん流れてゆき、風の様子は見事だし、鳥たちは自由に飛び回っているし、遠くのほうに工場地帯があり煙が上がっていることもある。太陽がまわり、星や月もまわる。見飽きることがない。
タイサンボクの立っているのはじつは隣人の家の敷地。でも隣人にとっては家の裏手にある木で、道草の家の住人のほうがよく"付き合っている"のではないかという気がしている。
だいたい毎朝、ぼくは起きて2階の自室に上がり、カーテンを開けるとタイサンボクに挨拶をする。
1月のある朝、遠くのほうに、こんなふうな冬の雲が。
おひさまが出てくる直前の空。冬の朝は、ほんとうに朝焼けがきれいで、思わず早起きしたくなる。
その朝焼けから目を上げると、こんな空だ。
1階のある箇所から、頻繁に雨漏りしていた。何度か修理を頼んだがダメで、ついに昨年末(大家さんが決意して)屋根瓦を取り外し、瓦の替わりになる(何というの?)を張ってもらった。出っ張っているのは何? と聞いたら、"雪止め"らしい。
晴れている日は、その屋根に腰掛けておひさまの光を浴びながら、空を眺めるといい。とても贅沢な体験になる。
空なら、ずーっと見ていられる。
この定点観察をズラッと並べて、見せ方(というより"見方"、いかにして自分を面白がらせるか…)を工夫して、写真集をつくったら面白いだろうなぁ。
月の出。そして、次の写真は、2018年12月30日(晦日)の夕暮れだ。
ぼくは眺めのよい部屋に住みたいとずっと思っていた。
以前、大阪で最後に住んでいた部屋からは梅田の夜景が望めたし(ベランダのすぐ前は桜の木だった)、府中の部屋からはどこまでも続くんじゃないかという住宅街の景色を眺めて暮らした。それはそれで好きだったが…
こんなに──地球の自転というか空の回転というか──空の素晴らしさを味わえる家には住んだことがない。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房の日めくりカレンダー」、1日めくって、今日は1月14日、「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに毎日置いてあります。ぜひご覧ください。