気づくというより、感じること
“知る”ことは、“感じる”ことの半分も重要じゃない。(レイチェル・カーソン)
今週は毎日のように手紙やハガキが届く。年末だから、という理由もないではないのだけれど、こちらが手書きの便りを出すので、向こうもそれに応えてくれるし、まだ出していなかった方からも(何かを感じたのか)手紙やハガキが届く。届いたら嬉しいので読んで返信を書く。
そんなことは、携帯電話やパソコンを持つ前には当たり前だったことで、ぼくは20歳すぎまで、そういう時代を生きていた。
あらためて、いいな、と思う。手紙やハガキで生のやりとりをして、それが元気なとき、自分にはよく書ける感触があった。「書ける」というのは手紙やハガキではなくて原稿のことだ。携帯電話とパソコンの存在が、自分の「書く」を阻害したという部分はなかったか? と、これは15年くらい前からずっと考えているのだが、何せ、便利なものには逆らえない。とくにパソコンの存在は自分で、楽に本をつくれる環境を与えてくれたし、それがなければいまの自分はないかもしれない。インターネット環境の充実が、それを支えたことも事実だ。
しかし「書く」ことそのものにかんしては、それ以前の環境の方が、はるかに充実していたような気もするのだ。これはなぜだろう。ノスタルジーだけではないと思う。なぜなら、携帯電話を持った直後にそう感じたのをよく覚えているからだ(自宅にパソコンを持つより携帯電話を持つ方が1年ほど早かった)。できれば、それ(携帯電話)を持ちたくなかったのを覚えている。本能というものだろう。便利なものには自分は依存するだろうということをわかっていたということか。その約10年後、いよいよスマホを持とうというときにも、自分の中は抵抗があった。しかし最終的には、その誘惑には負けた。
しかし本当に欲しているのは、便利さではなくて、心から通じ合える関係ではないか。そこに便利さが、どれほど必要だろう。
とはいえメールを止めるわけではないし、SNSも止めない、文章教室もオンラインでやっている。やはり便利なものは使う。けれど、手紙やハガキをやりとりする中で、気づくことはあるわけだ。気づくというより、感じること、と言うほうがよさそうだ。
頭で考えていることではないのかもしれない。そこに近づきたい、という願いが自分のなかにはある。
(つづく)
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