今年(2019年)の最初の3日間で書いたこと
ここに毎日、書いてきた「道草のススメ2019」を振り返ってみると、なぜこんなふうに書いてきたのか? というと、元旦から1月2日、1月3日にかけて書いたものに、きっかけがあった。
まずは、「なりゆきの新年」。元旦に書いたもの(この時点では、そのまま毎日書こうとは計画していなかったはずだ)。「今年の目標」にかんする、過去のエピソードを書いている。
その年は「今年の目標」を何ひとつと言っていいほど達成できなかった。1月に想定できた自分の「今年」の土台が崩れ去っていたのだから。でも、素直になってその「今年」を受け止めてみると「何だか意外といい年だったんじゃない?」とも思えた。これでよかったのだ、と。
なぜ? どうしてそう感じるのだろう? という話を会う人、会う人にしていたら、ある人がこう話してくれた。
「予想できなかった良いことがいろいろあったからじゃないですか?」
そう言われたのには唸ってしまった。
以前にも繰り返し、話してきたエピソードなので、自分には語り飽きた感じもする。しかしこれを読むほとんどの人にとっては初めて聞く話だろうから、飽きたとか言わず繰り返し書くことにした。
(その後、毎日書いていると、途中から「何を書いて、何を書いてないか」わからなくなったので、同じ話をけっこう繰り返し、しているかもしれない。とはいえ、その都度、語り方、書き方は違っているだろう。)
それを受けて、翌日(1月2日)は、「道草家(みちくさか)の誕生(秘)話」として書いた。
そこで、ふと思い出したことがあった。
小学生の頃、竹に何か文字を彫れと言われて、「努力」という二文字にした、いまから思えばつまらない子供だった。というのもじつはそれが自分には似つかわしくない言葉だと気づいていた。しかし「努力」は良いものだという刷り込みがあった。そのときは想像もしない。努力にも良し悪しがあるとは!
「努力」よりは「道草」がよい。
この話は、今年の1月2日まで、忘れていた。そりゃ仕方ないわ? 小学生の頃の思い出だもんね。30年以上前だ。
平時はともかく、危機のたびに自分を救ってきたのは「道草」のようなことのほうだ。
というのは、そこから出てきた。その日の感想だった。
「道草は、つい、してしまうものである」というのは、ずーっと話していることだし、冗談で「道草家」と名乗っていたら、いつの間にか自分を「道草さん」とか「道草くん」とか呼ぶ人が現れ始めたという話は、いまぼくの周囲にいる人たちは皆、知っていることだろう。自分では「道草」という人だと名乗ったことは一度もないはずですけれど!(まぁ、しゃーないなぁ)
その翌日も、やはり書くことにして、つけた題は、何だったっけ? と思ったら、「道草と挑戦」だ。
目標はいらないかと言ったら、やはり(それも)いる。挑戦もいる。と、まぁ、当たり前のようなことが書いてある。前日が当たり前のようなことじゃなかったから? その後半で、吉祥寺美術学院のアトリエでの昨年12月の最後の授業(国語の授業)で話したことがアレコレ書いてある。
きっかけは、そこにあった。
(つづく)
日常を旅する雑誌『アフリカ』最新号(2019年7月号)、相変わらず発売中。在庫が少なくなってきたので、お早めに。
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、12月2日。今日は、息抜きで、「おやつ」の話。
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