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場をひらく②
(前回からのつづき)
“場”をひらく。どういうことだろう。それは、どういう“場”だろう。
今度始める「オトナのための文章教室」は、イベントではなく、定例会のようにして、ある程度じっくり時間をかけてやりたい。短く濃縮されたものではなく、多少だらけてもいいから、時間をかけてやるような“場”を、誰よりもぼく自身が欲していた。
最初は閑古鳥が鳴くかもしれない。下手したら誰も来ない日があるかもしれない。それでもやりたい?
やりたい。ぼくは自分がやりたいからやるんだ。“場”をひらくということは、文字通り“ひらく”のであって、とにかくオープンにして(ひらいて)おきたい。迷い込んで(?)くる人がいたときに、しっかり出会えるように。
誰も来なかったら、予定していたプログラムをこなせなくならないか?
大丈夫。これにかんしては、あらかじめ決められたプログラムを用意しないんだ。決めているのは、「書く」を主役にしようということだけ。ただ、「書く」なかには、いろんなことがある。カッチリ構成立てなくても、この“場”は大丈夫。
「書く体験をするのではなく」なんて書いているね。
各々が「書く」ことを通じて、自らの内に響いてくる声に耳を傾けられたら、その先にあるのがどんなジャンルの文章なのか、あるいは表現ジャンルが何なのかは、自ずと決まるからこちらが勝手に決めて導くようなことはしたくないし、しない。もちろん「◯◯を書きたい」あるいは「こういうものを書いているんだけど…」という人が参加するのは大いにありなんだけど、これからその人がどんなものを書くかは、本人にだって完全にはわかっていない。
おそらく、「書く」こと自体は、その「オトナの文章教室」の時間でやるというより、各々が自分の時間を使ってやらなければならないね。
うん。“場”をひらくというのは、「書く」こと、あるいは広義の“表現活動”にとっての、ベースキャンプをもつというイメージで、これまで自分にとっては『アフリカ』という雑誌がそのベースキャンプだった、その“場”に、これからは現実に人が集える空間を与えたいと思っているんです。(つづく)