ひとりの人は、1冊の本
最近、眠っている間にたくさん夢を見る。そういう季節なのだろうか。ぼくが夢の循環の中にいるのだろうか。おかしいくらい、過去に出会って、もう会うこともなさそうな人と夢の中で会う。
思い出、記憶は、ものを書く人にとって、宝の山だ。
記憶を可能な限り書き出そうとしてみよう。そうしたら、膨大な文字数になり、百科事典並みの本になるだろう。いや、書き出すまでもなく、その人が"本"なのだ。
人を本と見立てる。以前、そんなワークショップもあったっけ。と、急に思い出した。
その時は、人=本を比喩のように捉えていたが、今なら、比喩ではなく、まったくひとりの人は1冊の本なんだ、と思える。
ただ、記憶の細部は、その多くが、名付けられていない。だから、検索ができない。記憶の森の中にある、あることだけを取り出すことはできない(可能性が高い)。
検索というのは、何を調べたいか言語化できていなければ、できない。言語に頼らない検索というのも、いまはあるのかもしれないが、どこまで技術が進んでも、"検索できるもの"しか検索できない。
でも、"本"というのは、ウェブと違い、モノだから、あぁ、あのことは、このへんにあったかな、と"アタリをつける"ことはできる。逆にそれができないなら、それを"本"とは呼べない。と、いま仮に定義してみよう。
あることを知りたい、と願う。それに出会いにゆくこと自体が、"知る"という行為の全体だ。記憶の森の中に入ってゆくと、真っ暗闇のように見えた森の奥は、じつは光に満ち溢れている。あたたかい。その奥の、また奥の、ずっと奥の方に光源があるらしい。
いつもその光をかんじながら歩んでゆこう。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、2月13日。今日は、"友達"の話。※毎日だいたい朝に更新しています。