『東京公園』を歩く 第4回 まっすぐ見るということ
春馬くんとの出会いと、これまで歩いた『東京公園』は 👇👇👇
この映画のキーワード「まっすぐ見る、まっすぐ見つめる」。
これまでまっすぐ向き合わず、まっすぐ見てこなかったものに真摯に対峙することで新たに知ることがあり、理解できることがある。そして止まっていた時間が動き出す。
さあ、勇気を出して一歩踏み出そう。
そうすれば嫌いなカマキリとだって友だちになれるかもしれないぞ。
🌙
バーの屋上で開かれた小さな夜のパーティー。
和服姿の酔客(島田雅彦!)に「きみ、ちょっと見てみない?」と声をかけられて望遠鏡をのぞく光司。
「どう思う?」の問いに、「じっと見てると向こうからも見返されてるような気がしますね」と返す光司。
口径約20㎝のニュートン式反射望遠鏡がとらえているのは、きっと満月だ。
光司に見られている月も、まん丸い目で光司をまっすぐに見返しているのだろう。
見られている側が見返したとき、見ている側は見られる立場となり、そして「見る⇔見られる」という深い関係性が生まれる。
人は常になにかを見ている。
けれども視線を向けただけではなにも起こらない。
まっすぐ見る
対象にただ視線を向けるだけでも「見る」ことにはなる。
けれど「まっすぐ見る」には、体をまっすぐ向けて正面から見るというだけではなく、きちんと向き合って真摯に考えるという意味が含まれる。
「まっすぐ見る」ことをじっとつづけて「まっすぐ見つめる」ことになり、見られている側が見ている側をまっすぐ見返して「まっすぐ見つめ合う」ことで視線が交わり、お互いに受け取ったものを共有することができる。
人はまっすぐ見ることで、その本質を理解する。
対象がひとであっても、ものであっても、見えないなにかであってもそれは同じ。
まっすぐ見ることは能動的な行為であり、同時に思考である。
まっすぐ見るという行為を行なっても、脳の回路が働かなければなにも受け取ることはできない。
まっすぐ見ることは、そこからなにを受け取り、どのように考え、その先どう行動するかにつながっていく最初のステップであり、「受け入れること」と「けじめをつけること」はその最後の発露なのだ。
でも、「まっすぐ見る」ということは恐ろしいことでもある。
なにが見えてしまうかわからない怖さがあるから目を向けたくない、目をそむけたくなる。見ないでおけばいい、見ないほうがいいと考えてしまう。
けれど、それではなにも変わらない。そこから先には進めない。
最初にまっすぐ見たのは富永だった。まっすぐ見て光司のマザコンを見抜いた。
その富永に背中を押された光司は、「一度、ねーさんのことまっすぐ見てみたい」と部屋にやって来て、カメラを美咲に向ける。カメラの眼にまっすぐ見つめられた美咲の堅固な心の壁は次第に崩れ、本気でカメラを構えた光司が目の前に迫ると、押さえてきた想いが堪えきれずにあふれ出す。
しかし、お互いにしっかり見つめ合い、いだき合って出したこたえは曖昧な関係にけじめをつけることだった。ふたりは姉と弟であるという結論をとうとう出してしまったのだ。
心が軽くなったという光司は、迷える初島さんに「これで奥さんのこと、まっすぐ見つめてあげてください」とカメラを差し出す。そのカメラを通してお互いをまっすぐ見ることで関係を取り戻した初島さんと百合香さん夫婦。
まっすぐ見つめることが連鎖していく。
自分で自分をまっすぐ見たヒロもまた、あたたかい涙を1粒2粒やさしく落とし、竹の風鈴をシャラリと鳴らして空に昇っていった。
目を向けずに過ごしてきたことをまっすぐ見つめ、考え、そしてけじめをつける。そのことの大切さが伝わってくる。
人生はその繰り返し。
そうして最後にそれは富永と光司のところに戻ってくる。
この先、このふたりはどうやってお互いをまっすぐ見つめ、生きていくのだろう。
「見る」ことを観る映画だった。
見る、そして目を連想させる小道具があちらこちらに潜む。
歯科医院の診療台の丸い大きなライト、望遠鏡、光司の部屋にある光源が2つの照明器具、ベッドサイドの文字盤が2つある時計、光司のカメラとレンズ類、そして光司自身がカメラマン志望であること。
美咲さんや富永がこちらをまっすぐ見る目もとても印象的だ。
だが、見えるものだけを見ていたのでは本質に迫れない。
見えないこともまっすぐ見て、見えないことを感じ取る。人との距離感や空気感といった目に見えないものも、たしかに存在するということを理解して受け入れる。
ヒロが幽霊としてあの家にいる理由はこれだったのかもしれない。
光司とは何者なのか
光司という人物をまっすぐ見つめてみたい。
光司は鈍感だという評をしばしば目にする。急がずのんびり穏やかで女性にうぶ、話し方もゆっくり。だから鈍感に感じるのだろうか。
ボーッとしてると鈍感? のんびり動くゾウさんは鈍感か?
光司が鈍感ではないと説明するのはむずかしい。
光司が疑うということをしないので、「気づかない=鈍感」と受け取られてしまうのかもしれない。
たとえば、隠し撮りしている女性が初島さんの奥さんだと美咲に言われるまで気づかないのは鈍感だからなのだろうか。
ものごとの裏側を覗いてまで疑うということをしない光司は、あるがままを受け取り、疑わずにそのままを受け入れる。
初島さんのあやしげな依頼も、意味ありげな富永の行動も、いるはずのないヒロの存在も、そのまま受け取ってそのまま、まっすぐ受け入れる。疑わないので自分の目と心の目に映らないことには気づかない。
鈍感と感じるとしたらそのせいなのではないかと思う。
でも、それを鈍感と言ってしまっていいのだろうか。それを鈍感と取ってしまったら、際立つ光司のその特徴を見落とすことになりはしないだろうか。
「光司は受け身。周りの人たちに合わせられるキャラクターだと解釈していた」と春馬くん自身は語っている。
それは周りの意見にただ流されるという意味ではない。心が変だと感じたことには即座に反応する。
最後の公園で、「一緒に帰ろう」と初島さんが強引に光司の腕を引っ張ったとき、はっきりとした態度でNOを示していることでそれは明らかだ。
従いたくないときには従わない強い心、そして、疑うことをせずにまっすぐ受け入れることのできる、そういうしなやかな感性を光司は合わせもっているのである。
なにも起こらない映画ともよく言われる。そうだろうか。
たしかに穏やかな映画である。
けれど人妻を尾行して隠し撮りすること自体、かなり大きな出来事だ。友人が幽霊として同居していることも、義理の姉が弟を愛しているのが露呈したことだって大きな出来事だろう。
それでも話はゆっくり穏やかに進む。
人妻の尾行を取り立てて騒がず、守秘義務があるからと幽霊のヒロにさえ話さない。光司にしか見えず、外にも出られないヒロに話したって問題はないだろうに、光司はいっさい口にしない。疑わずあるがままに素直に受け取るのが光司だからだ。
光司のこの淡々としたありようが静かな印象をつくり出しているのだろう。
その光司が珍しく声を荒げるシーンがある。
公園の木の下で酒を飲み絡んでくる初島さんに、ついきつい言い方をした光司だが、さみしげな後ろ姿を見てすぐにいつもの光司に戻る。
そして、光司の穏やかな言動が初島さんの凍っていた心を溶かし、夫婦の危機を静かに救った。
淡々としていながら、でもとても大きなことが起こったのだ。なにも起こらない映画であるはずがない。
人とどう向き合い、どう寄り添うのか。人と向き合うことは自分と向き合うこと。そして前に進む勇気。
そんなことを考えさせられる初島さんと光司のやり取りだった。
光司とは何者なのだろうか。
鈍感と思われるほど穏やかな性格、疑うことを知らない裏表のない人柄、少年のような無垢な視線。
のんびり穏やかでやさしいから「光司は公園のような人だ」と言えるとは思う。だからと言って「光司が公園そのものなのである」というわかりやすいまとめ方には、へそ曲がりの心がどうしても納得できないでいる。
光司はいったい何者なのだろう。自分なりの答えはまだ探し出せていない。
そして歩きつづける
小説『東京公園』に、東京公園とはなんぞやというはっきりした言葉は見つけられなかった。
映画では東京公園の意味が積極的に語られる。
東京は物騒な街だと世界から誤解されているがそうではない、と青山監督は言いたかったそうだ。
魅力的な公園がたくさんあって、東京全体が人と人を包み込む大きな公園のようなのだと、映像を通して世界中に伝えてくれたのだろう。
理屈ばかりこねてきてしまったが、この映画は理屈で観るものではないと思っている。理屈抜きで感じる映画だと。
つじつまが合う合わないを問題にするのではなく、わからない部分や謎までも楽しみたい。でも、深く掘り下げると見えてくることで、表面的だった理解が深まることもある。
どう解釈するかは人それぞれ。観る人にゆだねられている。確かな解はどこにもない。
だから何度も咀嚼し、何度も味わう。いつまでも何度でも観て『東京公園』をずっとずっと歩きつづけていこうと思う。
富永と光司がイケアで家具を見ている。
初島さん夫婦が光司に気づいて遠くからおじぎをする。
それにきちっと返す光司。
また、あののんびりと心地よいピアノの音が流れ、新しい生活が始まる予感を残して映画は終わる。
明るいエンディングに涙があふれて止まらない。
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🎤皆さま、たいへんお疲れさまでした。終点に到着です。
ツアーガイドと名乗っておきながら何度も道に迷い、皆さまをさらなる迷宮にお連れしてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。
不思議な魅力いっぱいの作品に導いてくれた春馬くんと関係の皆さまに感謝するとともに、この映画が一人でも多くの人に届くことを祈りつつ、今回の旅を終えたいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
*次回、第5回〈最終回〉は書下ろし。光司の魅力に迫ります!