『東京公園』を歩く 第3回 光司と3人の女性たち
春馬くんとの出会いは…👇
つもった落ち葉の上を歩くのは楽しい。
さあ、ガサゴソと大きな音を立てて公園巡りをつづけよう。
今回は光司をめぐる女性たちについて考えてみた。
安易に理解することを拒むようなシーンに翻弄されて、やっぱり解には簡単にたどり着けない。いろいろな考えが頭の中で渦を巻き、絡み合ってほどけないでいる。
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公園で家族写真を撮ってはのんびり暮らしてきた光司だが、見知らぬ男性からの依頼で、ある女性を尾行し隠し撮りするはめになる。
やがて静かに混線していく光司と光司を取り巻く女性たちとの関係。
なんでもやさしく受け入れてきた光司にも、周りの女性たちとまっすぐ向き合わざるをえないときがとうとうやってくる。
謎の人妻と光司
初めて公園で見かけたとき、魅かれるものを感じたから望遠レンズで何度もシャッターを切ったのだろう。
ピンヒールのブーツを履いてベビーカーを押すおしゃれできれいな女性は、それまで写してきた家族とはいくらか様相が異なる。
プリントを見て「だれかに似てる…」とつぶやいているから、うっすらとは気がついている。
だが、それがだれなのかを深く追及することもなく、ぼんやりした思いをもちながら姿を追ううちに、好きなように思いきり撮りたいという衝動にかられるほどその存在感は増してきた。
しかし、それはどうしてなのか。
遠く視線の先にいるその女性に対する気持ちなのか、それとも…。
そのひとは光司の母親にそっくりだと指摘する富永。
それを素直には認めない光司だけれど、無意識のうちにもやはり面影を追いかけていたのだろう。だとすると、その女性(百合香さん)が向けるまなざしは光司にとっては母の視線そのもの。
光司には8歳の時に亡くした母親との思い出はそう多くないはずだ。ほとんど覚えていないかもしれない。
光司に欠落している母親の記憶は、百合香さん母娘を追いかけ撮影することで埋められていく。
そして、ちゃんと撮りたいのにデジタルカメラで遠くからしか撮れないもどかしさが、あの妄想を生んだのだろう。それはカメラマンとして当然の欲求である。
しかし、光司にとっての百合香さんは、あくまでも亡くなった母親の投影像だったと思う。初島さんが百合香さんとかりんちゃんのもとへ走って行ったとき、百合香さんに対する光司の淡い想いは青い空へと儚く消えていったのだ。
義理のねーさんと光司
のんびり心地よいピアノの音とゆっくり流れる映像にだまされていたのだろうか。年の離れた仲のよい姉と弟だと思い込んでいた。富永に指摘されるまで気がつかなかったのは光司だけではない。
だがよくよく見てみると、最初から美咲は光司を意識しているようだ。
光司が働くバーでは女子高生のような心でいじわるを言ってみたり、2人で帰るときには、ちょっとうきうき心も体も躍らせているじゃないか。
自分でも気づかないうちに、いつしか芽生えてしまった弟への密やかな愛がにじみ出す。
光司だって同じだ。美咲と2人きりでいるときは受け答えがやけにそっけない。唇を少し尖がらせながら話しているような感じがする。若者特有の照れかと思っていたのだが、ちがったのか。
本当の姉に対するものではない感情が自分の中にあるのをわかっていて、それを懸命に隠そうとしているのだろう。
「初めて光司を見たのも公園だった」と大島で美咲が言ったとき、光司は心の動揺を見せないようにぶっきらぼうな返事をする。あのとき初めて感じた年上の女性への淡いときめきを悟られないように、10年以上も消えないその想いを見破られないように、と。
2人は腹違いではない。「腹違い」とは父親は同じで母親が異なる兄弟姉妹のことで血のつながりがある。
美咲と光司の場合は、再婚相手の連れ子どうしだから血はつながってない。この場合、法律上は結婚が可能。富永が言うように「血のつながらない他人だろ、ベイべ。なにか問題でもあるのかい?」だ。
でも2人はそちらの方向には向かおうとしない。
美咲には、「弟思いのお姉さんになってくれて安心してる。光司をよろしくね」という母親の言葉が突き刺さっているのだろう。母子家庭だったから娘が母を思う気持ちは強い。それに逆らうようなことはできない。
光司が隠し撮りする人妻への嫉妬心を隠すこともできず、せめて富永とくっついてくれれば自分はあきらめられると考える美咲。自分ではどうしようもならない気持ちを抑え込もう、紛らわそうと懸命にもがいている。
「ねーさんが僕を初めて見たとき僕もねーさんを見てた」とキスのあと告げる光司。その光司がどんな結論を出すのか、どういう言葉を発するのか。それをじっと待つ美咲。
姉と弟であることを選んだ光司に「私も。光司が弟でよかった」と美咲は返すが、その言葉とは裏腹に気持ちは大きく揺らいだであろう。
光司も自分に好意を抱いていたと知ってしまった。だからこそ、このままではいけない、そばにいてはならないと心の声が警告する。そして大島行きを決意する美咲。ついさっき想いを通わせたソファに向ける目が切ない。
「ねーさんがねーさんでよかった」とにこやかに言った光司の顔からも次第に笑みが消えていく。淡く儚い恋が終わった瞬間。もうとっくにわかっていたことではあるけれど、まっすぐ見つめ合ったことでたどり着いてしまった哀しい結論。
2人とも姉と弟であるべきだという強い思いから逃れられない。どうしてもその一線を越えることができない。
19歳と10歳で突然、姉と弟になってしまった。時が経っても本当の姉弟にもなれず本当の恋人にもなれない。
まっすぐ向き合うこともできずに戸惑いながら生きてきた、それぞれの長い年月だったのだろう。
友人のカノジョと光司
富永と光司は幼なじみ。光司と同居するヒロのカノジョだった富永は、家に来ては3人でよく遊んだ。
ヒロがいなくなってからも、2人は食べたり飲んだりのんびり過ごす気のおけない間柄だ。
美咲に「光司、どう?」とすすめられても「ビービー泣いているときから知っていてありえない」と否定する富永と、ヒロのカノジョという目でしか富永を見ていない光司は、幼なじみは恋愛対象にならないと決めてかかっているように見える。
この映画の魅力のひとつは、富永と光司が家でともに過ごすまったりとした時間にあると思う。
昭和の香り漂う部屋の中で肉まんやおでんを食べ、ワインを飲んではポツポツと短い言葉を交わす。
男女を感じさせない幼なじみという関係が、このやわらかな空気を醸し出しているのだろう。
では2人は幼なじみというだけでお互いに好意はもっていないのだろうか。
2人の本心を読み取るのはむずかしい。
どんな存在もやさしく受け入れる光司と心の内をあまり出さないボーイッシュな富永は、お互いを異性と思っていないように見受けられる。
ヒロの気配が強く感じられる部屋の中で「遅いから泊まっていけよ」などと光司は言わないし、そんなことを期待するようなありきたりの感性をもつ富永ではない。
でもどうなんだろう。心のずーっと奥底にお互いへの想いは隠れていないだろうか。
少ないけれどヒントはある。やっと見つけた「ふれる」ということ。
光司と富永、それぞれの瞬間。
亡くなったヒロという大きな存在と幼なじみであるという関係が邪魔をして、鋭い嗅覚をもつ富永でも自分の本当の気持ちに気がついていないだけなのか。気づくことで失うのを恐れ、避け、封印してきたのかもしれない。
光司が美咲とどうにかなってくれればいいのにと富永が考えるのは、美咲と同様、自分の気持ちにまっすぐ向き合うことを恐れていたからなのではないのか。
その富永も幽霊のヒロが同居する光司の家にのり込み、2人とまっすぐ向き合う決断をした。それはきっと美咲が大島へ行くことを知り、初島夫妻の事の顛末を聞いたからでもあるのだろう。
泣きながら光司に言った言葉は富永の精いっぱいの告白。それを受け入れて富永の背中にそっと手を置く光司。やさしく「ふれた」それが光司の本心。
楽しい時間を一緒に過ごしてきた3人のうちの1人が欠けてしまった。その事実と痛みは一生消えないだろう。目をそらすことはできない。残された2人が一緒に生きていこうとするならなおさらだ。
その深い川を2人は越えるのか、越えられるのか。
越えられないままに生きていこうとするのか。
越えられないけれど、それはそれでいいと思えるようになるのだろうか。
ともあれ、はじめの一歩は踏み出した。前を向き、ともに歩いていく2人の姿を心に思い描く。
そして光司
富永に言われて理解しがたいという顔をする光司だけど、早くに亡くした母親の面影を追って生きてきた彼は、やっぱりマザコンなのだろう。
たしかに「マザコンって大人になっても母親にべったりのヤツを言うんじゃないの」だから、甘える実体がない光司の場合はマザコンというより、母親に強い思慕を覚えているということだろうか。
ベッド周りに飾ってある母親の写った写真がそれを物語る。
甘えているわけではないが、ものごとの根源がほとんどそこにある。
女性たちとの関係も始まりは母親であろう。
母親似の百合香さんという女性に魅かれたのも、小学生でありながら美咲という年上の女性に魅かれるのもマザコンであるがゆえ。母の職業だったカメラマンを目指しているのは当然のこと、家族写真を撮っているのも、抜け落ちてしまった家族や母の記憶をいま求めているということではないか。
憧れといった単純な気持ちではなく、必要な栄養素を食事から摂るように体内に家族の記憶を摂り込んでいく。そういう行為のように思えるのだった。
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光司が自分の部屋に飾っているのは母の写った3枚の写真。ほかは光司が公園で撮った家族写真だ。
自身を写したセルフポートレート以外、カメラマン志田杏子さんが撮った写真がないのはなぜなんだろう。
母親が残した写真集のタイトルは『時間』。通常は写真に写らないものである。彼女はいったいなにを撮っていたのだろうか。
どれもこれも、すっきりとした解にはちっともたどり着けないというのに、新たな疑問ばかりがさらにいくつも浮かんできては頭の中をぐるぐる回りつづけている。
〈第4回につづく〉