「会話に付いていくために話題作を見る」のは否定派だったけど、ボケしろに反応するためにはやっぱり必要だったかもしれないわ
「みんなとの会話に付いていくために」。
そんなきっかけで、漫画やアニメ、映画などの創作物を鑑賞することはどことなくミーハーで自分が無いような感じがして、不純だと思っていた。
本当にそうだろうか?
「ボケしろ」という言葉を使わせていただく。
「ボケしろ」とは、ボケを言える "機会" のことだと認識している。
例えば、干していた布団が風に煽られて中空を舞ったとする。
これは「布団がフっトンだ」を言えるボケしろだ。
(例が面白くないのは筆者の実力不足に起因する)
この「ボケしろ」という単語の初出は分からないが、テレビで芸人が使っているのを見たことがある。それ以来私の辞書の中にも記載された。そして未だボケしろに替わる言葉を知らないので気に入っている。
さて、ボケしろは日常の中にも存在する。
何人かで鬼ごっこをしている場面を思い浮かべてほしい。
"鬼"ごっこをしている場面というのは、今やボケしろだらけの環境である。興行収入の記録が塗り替えられた令和の今では特に。
鬼が「お前も鬼にならないか?」と叫びながら走っていき、
逃げる側が「君と俺とでは価値基準が違う」と応えれば、会話の成立である。
タッチされて鬼が入れ替わった後、逃げていく元鬼に対して
「逃げるな卑怯者!!」と言い放つ流れまで持っていける。
(例が面白くないのは筆者の実力不足に起因する)
上記の流れは今やネットミームになるほど有名なはずだが、その作品の一切を知らなければ意味が分からず、クスリとも笑えないだろう。
話題作を見ていなければ、「話題作を見ていれば気付くボケしろ」が訪れた場面でも何も出てこないし、ボケが目の前に降ってきたとしてもそれに対して適切な返しをすることができない。にわかな知識で対応しようものなら、ガチ勢過激派から叩かれること必至である。中途半端はオタクの怒りを買うのに一番簡単な方法だ。
話が逸れたが、こういった会話が成立しない "何も起こらない状況" というのはあんまり面白くない。
そういった面白が沸き立たない平たい状況ばかりになってしまうのなら、痛快な掛け合いの機会をちょっとでも増やすという理由で話題作を見るというのも、まあそこまで悪いことではないか? とふと思ったのだ。
筆者は別に芸人でもないし、人前で笑いを取る立場の人間でもないのだが、ちょっとした冗談は一般人にもマストだ。日常会話に創作のネタが出てくることもある。
『アメトーーク!』のように特定の作品に特化したテレビ番組もあれば、昨今大きな盛り上がりを見せているネット動画や生配信などにおいて、キャラクターのモノマネなんかを見かけることもしばしばある。創作の中に別の創作のネタがオマージュやパロディとして差し込まれていることもある。
それらを拾い上げるのにも、どういう理由であれ話題作を見ることは、日々を楽しく過ごすのにちょっとだけ必要なことなのかもしれない。
素人がお笑い論を語るのは気持ち悪いことこの上無いと思われるが、ツイートで収まらなかったチラ裏をここに記す。
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