傷を負うもの同士の「癒し」の物語 島本理生「ファーストラヴ」
先日読んだ芥川賞受賞作「推し、燃ゆ」の後、別な小説を1冊読み、Kindleでごしゃごしゃと大したことない本を暇つぶしに読んだ後、本棚から手に取ったのが、島本理生さんの「ファーストラヴ」だった。
先に書いた、「推し、燃ゆ」の感想で芥川賞と直木賞の違いについて触れた。
島本理生さんは、「ファーストラヴ」で直木賞を受賞しているが、この受賞の前に、複数回芥川賞にノミネートされている。「純文学」の定義が「娯楽文学」に対するものであるとは前に書いたが、「純文学」と「娯楽文学」の境目はこのようにとても曖昧だ。1人の作家の作品が、「純文学」とも「娯楽文学」とも分類されうる。
「純文学」には作者自身の生い立ちが反映され、作者の抱える苦悩や胸に抱く希望などが描かれることが多い。複数回芥川賞にノミネートされた島本理生さんが、どのような経緯でこの作品を執筆しようとお考えになったのかは分からないが、「ファーストラヴ」は純文学的な要素を内包した、素晴らしいエンタメ作品に仕上がっている。
父親殺し
臨床心理士・由紀は出版社から、ある父親殺しの犯人の女子大生の手記を書かないかと話を持ちかけられる。その女子大生の弁護を担当するのが、義弟である迦葉。由紀は夫にも子どもにも仕事にも恵まれた、「勝ち組」であるように見える女性だ。
しかし、父親を殺した女子大生・環菜と関わっていく事で、由紀と迦葉は自らの過去と向き合うこととなり、「パンドラの箱」が開けられていく。
臨床心理「士」と弁護「士」
実は、読んでいて割と早い段階で、物語の構造と、どのように登場人物が絡んで進むのかが、私にはある程度見えてしまった。着地点は分からなかったけれど。それでも最後まで飽きることなく一気に読み切れたのは、島本理生さんの筆力のなせる技だろうか。
由紀の夫である我聞は、カメラマンだ。臨床心理士である由紀や、弁護士である迦葉と比べて、自由だ。これは、由紀や迦葉の抱えるのと同種の傷を抱えていないからではないかと、私は感じた。
由紀も迦葉も、「士」のつく職業という鎧で武装しないと、心細かったのではないだろうか。自分の存在そのものが、丸ごとは認められていないかもしれないという恐怖を抱えてはいなかったか。
それでも、きちんと仕事が出来ているという点で、一線を超えてしまった環菜とは違う。そんな風に読み進めていると、想像もしていなかった、おぞましく衝撃的な、環菜の幼少期の出来事が次々と明らかになってくる。
犯罪の影にあったもの
環菜の家庭はとても健全とはいえないものだった。画家である父親と、学生時代の父に憧れて結婚した母。2人の関係はとても歪なものだったが、そこに生まれた環菜は、さらにその関係を歪ませる存在感だった。
歪んだ家族から逃げ出した先に、あったものは。
涙が止まらない。
映画化にあたり
しかし、よくこんな登場人物ほぼ全員が複雑なものを抱えた、難しい本を映画化しようと思ったものだ。もしかして、役者さんは極端な役のほうが演じやすいのだろうか。まだ映画の方は観ていないけれど、迦葉が中村倫也さんというのは、ちょっと期待している。北川景子さんの壊れ加減も楽しみだ。あ、芳根京子さんは平常運転で充分。
終わりに
結末はスッキリ、めでたしめでたしなので安心して読んでいただきたい。
映画の話を少しすると、経験上、大抵小説がすごく面白かったと思うものは、映画を観ると「失敗したな」と感じるものだ。それもそのはず。映画はせいぜい2時間程度しかない。小説は何百ページ、長ければ千ページ以上かけて世界を作る。映画という表現では、小説家の紡ぐ世界観のエッセンスを切り取れる程度だろう。
しかし、その切り取り方の妙や俳優の力量で、どうにでも転びうる。女子大生役が芳根京子ならいけるかも。そう思わせる力が彼女にはある。北川景子さんの印象はあまりないけれど、芳根京子や中村倫也と絡むなら、普通の出来でも充分かと思った。
機会があれば、映画館にも足を運んでおきたい。