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続・"役者の表現力"の正体とは 鴻上尚史 『鴻上尚史の俳優入門』ほか1冊

昨日、本屋をうろついていたら面白そうな本を見つけてしまい、久々に本の「ジャケ買い」をしてしまった。

帯にはこんな文字が躍っていた。

ドラマの撮影中に起こるさまざまな事件やトラブルを鮮やかに解決するベテラン俳優の南雲。ーそこにはある秘密が隠されていた。

まともに取材して書かれたものなのであれば、役者を生業にしている人たちが普段どのようにお芝居をとらえているか、どのような指摘を現場で受けているのかが垣間見えるだろうと思って、買ってみたのだ。期待は裏切られなかった。しかし、推理小説として1500円+消費税に値するかと言ったら、微妙なところだと思う。

それよりも、巻末の参考文献を片っ端から読みたくなってしまったので、とりあえず以前、役者の表現力について知りたくなった時に読んだ「ロンドン・デイズ」の著者である、鴻上尚史さんの著書をKindle版で読むことにした。

読みづらいとか不平を言っているくせに、懲りずにKindle版を買うのは、物理的に家に届くまで待てないという、せっかちさのせいである。

以前書いたnoteはこちら。

今回読んだのは、こちら。
高校演劇コンクール全国大会の審査を終えた、帰りの新幹線の中で、鴻上さんが出場した2人の高校生と会話する、という形式で進んでいく。

■ 俳優とは何をする人なのか

俳優入門1

上記のように、俳優の仕事場はテレビドラマだけではなく、たくさんある。CMだけは特殊なので赤字にしてあるが、ではそれ以外で、俳優とは何をする人なのだろう。鴻上さんは、高校生たちにこう説明している。

作者の言葉を、観客や視聴者に伝える

ポイントは、「作者の言葉を」というところだろう。私が以前書いたnoteには、観客や視聴者に届けるとは書いたが、「何を」届けるかはきちんと書いていなかった。ドラマであれば脚本家、映画では監督、舞台では演出家の言葉を届けるのが、俳優という仕事だと、鴻上さんは言う。

そう。伝えるのは、俳優自身ではなく、作者の言葉なのである
当たり前と言えば当たり前なのだが、テレビドラマなんかを観ていると、何を届けたいのか分からない俳優も多い。あるいは、届けているのが俳優自身だから、いつ観ても同じに見える俳優さんがいる。

もっとも、ドラマの脚本を書いた人が、「カッコいいxxさんを観てほしい」ということを伝えたい場合は、それでも良いのかもしれない。私はそんなの観ないけど。

■ お芝居とは何か

さて、では俳優さんの仕事が「作者の言葉を観客や視聴者に伝える」のだとしたら、どうやって伝えるのか。もちろん、それは「お芝居」を通じてである。

俳優入門2

一口に「お芝居をする」といっても、私たちは俳優ではないので、普段彼らがどうしているのかは分からない。せいぜい、「台本にある自分のセリフを覚えるのだろうな」という程度である。鴻上さんはこの点について、5つのステップを踏む、と説明している

1) 自分とはだれか?
 渡された台本の自分のセリフや共演者のセリフから、どんな人間なのかを想像する。きょうだいは居るのか、親はどんな人か、怒りっぽいのか、優しいのか、休みの日は何をしているのか・・・

2) 4Wのうち、残りの3Wについて考える
 どこに住んでいるのか。大都市なのか、田舎なのか。物語はどんな街で展開するのか。いつの物語なのか・・・

1) 2) をちゃんと作り込んでおかないと、観ている側に「こいつ、そんなこと言わないだろ?」という違和感を抱かせることになってしまうのだ。

3) 自分の具体的な目的をはっきりさせる
4) 目的を邪魔するものを見つける
5) 葛藤を行動に表す
 これは、非常に参考になった。たいてい3)とか4)ぐらいまでは台本に書かれているものなのかと素人なりに思っていたのだが、書かれていないこともあるらしい。

特に印象的なのが、「具体的な目的をはっきりさせる」という点だ。具体的な行動を邪魔するものに対して、役が抱いた葛藤を観ている側に伝えるのが、「お芝居」へのアプローチだという。

3) -5) については、具体的な「ボス恋」第1話のシーンを例にとってみよう。(今クールのドラマ。『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』)

ちなみにこのドラマ、1) 2) がほとんど1話の脚本に書かれているという時点で、主人公の俳優さんの考える余地はあまり入っていないかもしれない、と思っている。他のキャラクターはともかく。

主人公・鈴木奈未(上白石萌音さん)は、九州出身。東京で就職面接を受ける直前、いかにも、なリクルートスーツをペンキ塗りたてのベンチに座ってダメにしてしまう。

そこで出会った潤之介(玉森裕太さん)に連れられて、近所でちょっとリクルート用としてはオシャレすぎるセットアップを購入しようとする。←3)
(お坊ちゃんな潤之介は買ってくれようとするのだが…)

この時提示された金額は、22万8千円。

奈未は、2万円台の出費を痛いなと思っていたところ、22万だったところに驚愕する。だが、新しいスーツが無ければ面接には行けない。 ←4)

奈未はつぶやく。「にじゅう、にまん・・・」 ← これが、5)

ちなみに私は、奈未の1) 2)を考えると、22万8千円のセットアップをそのまま買って面接に行ったとはとても思えず、5) については、その場で「一番安いスーツください」と言ったに決まっているだろう、と思っている。が、そういう矛盾はどうでもいいらしい(なぜかは「日本のメディア事情」で触れる)。

まあ、高いセットアップを着ていたからこそ、物語が展開するのだから、ここは矛盾を許容しないといけないのだ。(鴻上さんはこれを「嘘くさい障害」と言っている。物語の次の展開につなげるために、役に取りそうもない行動を取らせること)

仮に3) のところで、「どうしようとアタフタする」と、ボンヤリしたことしか台本に書かれていなかったら、萌音さんはどうするだろう。

それでも、「とりあえずペンキの付いたままで面接に行く」ことにする演技とか、「面接時間を遅らせてもらえないか電話する」とか、何か演技プランを具体的な行動に落とすだろう。アタフタしていることを示すために。

そして、4) は、時間を遅らせてもらえなかったとか、そういうことになり、次の5) をどう示すか、につながっていく。

こういうことの連続が、「プロの俳優の仕事」というものらしい。

■ 日本のメディア事情が演じ手に及ぼす影響

俳優入門3

画像に「キャッチボール」と書いたのは、演出する側や共演者同士での、セリフや動きのやりとりを通じた話し合いのことだ。

私は業界の人間ではないので知らなかったのだが、テレビドラマにおいては事前のリハーサルをするのは稀だとのこと。撮影がはじまってからのリハーサルで、数回共演者とセリフを交わしたらもう本番、ということだ。
テレビでは売れっ子の俳優さんを使うことが多い(人件費が高い)し、45分×10話分を制作するということは、多くのスタッフがそれなりに時間をかけて、仕事をするということでもある。スピード感をもって制作しなくてはならない。

そこに、今のは気に入らなかったからやり直したいとか、そういう意見をさしはさむ余地はないだろう。「お芝居とは何か」の項の1)や2)についても、映画や舞台より雑になりがちだろうし、3)-5)についても、何パターンも試す時間はないだろう。

ということは、渡された台本は完璧に覚えていかないといけないし、その100%をぶつけ合った結果、少し調整する程度という感じにならざるを得ない。

映画の場合は、もっといろいろ共演者どうしで試す時間があるということだ。テレビドラマのスピード感を嫌う俳優さんというのはいて、そういう人は映画を主戦場にしていて、あとはCMにしか出ないという仕事の受け方をしているらしい。

舞台は、稽古の時間(キャッチボールを試す時間)が長いので、こちらは説明するまでもないだろう。そして、舞台の利点は、観客の反応がダイレクトに感じられるので、試してみて良かったこと、ダメだったことがはっきり演じ手にも分かることだと思う。

明らかに、お芝居が上手くなるには舞台を中心に活動するのが手っ取り早いだろう。テレビの仕事を中心にしていると、自然と表現の幅が狭まってくるのではないだろうか。また直接視聴者の反応が返ってこないので、演じ手として、不安になることもあるような気がする。

テレビドラマへの出演だけでお芝居を上達させるのは、かなり難易度の高いことなのではないだろうか。あくまで素人の推測なので、的外れなことを言っている可能性も、大いにあるけれど。

私がテレビドラマを観る時、「舞台出身の俳優さん」を明らかに好む傾向があることも、説明がつく。技術的な巧拙はともかく、少なくとも人物の言動に、違和感を抱かずに済むからだ。

■ 巻末特別対談:鴻上尚史×高橋一生

この巻末特別対談が、ことのほか面白かった。高橋一生さんは、役を演じるとき「どこかの選択が違っていたら、なりえた自分」だと思って演じていると言っておられたことが印象的だ。また、役に没入する自分とは別の、俯瞰で見る「もう一人の自分」を常に置いておくことの大切さも、語っておられる。

「離見の見」を持っておかないと、キャッチボールで埋める部分だったり、視聴者の目線が分からなくなる、と(一部私の自己解釈で埋めた)。ここで世阿弥の言葉出してくるのかよ。やはり只者じゃないな高橋一生。

また、若い時はちゃんと芝居をさせてくれる時間が与えられている現場に行きたかった、という話も、心に残った。若い俳優さんにとって、しっかりキャッチボールを何度も繰り返せるところでお芝居をすることは、素晴らしい経験になるに違いない。

何度も読み返したくなる対談だ。

終わりに

この本には、「ロンドン・デイズ」に書かれている演劇学校で教えているような、テクニカルな話は出てこない。俳優の技術的な面については、別な本を今読んでいるところなので、そちらの感想文としてまた書くことにする。

俳優の仕事が、「作者の言葉を観客や視聴者に伝える」ことなのだとすれば、「作者の言葉を正しく、作者が想定した以上に効果的に伝えられる」俳優のことを、「名優」と呼ぶのだろう。

そうすると、「作者の言葉を、正しく効果的に観客や視聴者に伝える力」が、“役者の表現力”の定義とも言えるのかもしれない。

作者の言葉を効果的に伝えるための「技術」というものが、あるはずだ。もう少し踏み込んだことが書ける日は、来るだろうか。

とりあえず、次の本の感想文では、もう少しテクニカルなことを書きたい。


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