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自己肯定感が低すぎた私の生い立ち〜現在

自己肯定感が低すぎる私は、自己肯定感が低いということにすら気がついていなかった。

なぜならば常に「私には生きている価値がない。」「私はここにいて良いのか?」という思いがベースにあったから。

なぜこのような思考を持つようになったのか。

生まれつきではなく、やはり育った環境・出会った大人から受けた影響が大きいのではないかと推察する。

私には弟が2人いる。1人は幼い頃ことばの教室に通っていたり友人からいじめを受けたりしていた。もう1人は可愛げがあって運動神経で、友人もたくさんいていろんな人から可愛がられるタイプ。

そんな弟たちのことは大好きだったけど、やっぱり私は姉としてずっと無意識のうちに頑張り続けていたのだと思う。「私は親に迷惑をかけてはいけない。」「私は親の望むような子でいなければならない。」と。

実際、勉強も部活も真面目にやったし、部活ではいろんな揉めごとが起きはしたけど一応やるところまではやった。

中学・高校時代は思い切った反抗ができず、大学生になってから静かな反抗期が訪れ、実家から離れる時間が増えたこと・ありのままの私をそのまま受け入れてくれる人に出会えたことで、私は私という人間を取り戻すルートを手に入れたように思う。

そしてずっと実家にすぐ帰れる距離で暮らしていくものだと思っていた私の人生は、夫の転職であっという間に全国を点々とする暮らしとなった。今振り返ると地元を離れたことで、私は生きやすさを手に入れたようにも思う。

自己肯定感が低い人は、自分を褒める言葉は無意識でスルーするが、自分を責める言葉には敏感に反応してしまう。そして何より自分の価値に気がつけない・自分に価値があるのか全くわからない。そう、まさに私。

感謝の言葉を伝えてもらっても自分に言ってもらえてるとは思えない。なんなら「なにか裏があるんじゃないか?」と勘ぐってしまう。

その反面、ほんの少しでも私がやることなすことに意見を言われようものならば、「こいつは敵だ!!」とか「私ってやっぱりダメなんだ…。」とものすごい勢いで反応し、勝手に敵を作り、自分で自分を傷つけていた。

でも、いろんなところに住み、いろんな人に出会い、さまざまな景色や食べ物に触れ、”心”や”脳”について学び・実践するようになり、少しずつ私は私を生きられるようになってきたと感じる今日この頃。

現在38歳。
たくさん遠回りをしてきたし、まだ自分の中に確固たるものがあるというわけでもないけれど、私だからこそ伝えられることを伝えていきたい。それが誰かの役に立てたらこんなに幸せなことはない。と思い、今日もnoteを綴ります。

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松山ルカ
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