生きるとは、命を頂くこと。
今日は自然の家での活動日。
なんと今回のお昼は、生きているお魚を串に刺し、塩焼きにして頂きました。
スーパーや自宅で見るお魚やお肉は、すでに切り身になっていたり、丸々一匹あったとしてもすでに動かなくなっていたり。
「動物さんやお魚さんの命を頂いてるんだよ~!」と話をしても、やはり自分の目で見て、手で触って、食べるという行為を経験したことで、我が子たちもより一層感じるものがあったようです。
日本語には「いただきます」という言葉があります。
以前の私は「いただきます」ということも、食事をする時に手を合わせることもほとんどありませんでした。
けれど、いろいろと見つめなおす中で食事をする前に手を合わせ、心を込めて「いただきます」と言葉に出すことを大切にするようになったところ、食事の時間そのものが豊かになったと感じたのです。
ただの行為かもしれませんが、その行為に想いを込めてみたら、すでに私たちは生きるために必要なものは与えられていて、ものすごく豊かな世界に生きていると感じられたのです。
すべての食材には、それぞれのストーリーがある。
魚だったら魚そのものへの感謝はもちろん、魚を捕獲してくれた漁師さん、販売してくれているお店やお店のスタッフさん、そして水や太陽といった自然の恵み、魚が大きくなるまでに食べてきた小魚や餌たちなど、これらすべてがそろっているおかげで、私たちはその魚を食べることができます。
野菜も晴れの日・雨の日、どちらも大自然の力が必要ですし、種から育て、収穫をし、出荷をするという作業をしてくださっている農家さん、その野菜を取り扱っているお店やお店のスタッフさん、そしてその野菜を買うためのお金が我が家に巡ってきていること、さらに家には料理をするための調味料や調理器具、料理を盛るお皿、そして家族がいる人だったら自分が作った料理を食べてくれる人がいること。
このどれかが欠けていたら、目の前にある食事は用意されることはなかったのです。
こう思いを馳せてみると、私たちは日々どれほど豊かな食事をとっているかが、しみじみと感じられると思います。
食べることは生きること。
命を頂くことで、私たちの命が紡がれていく。
そう、私のこの命は、私だけのものではないのです。
両親をはじめ、ご先祖様から繋がり生まれたこの命は、日々、たくさんの命を頂いたうえで、今ここにある。
感謝の気持ちを大切に、一つ一つの行為に想いを込めて行うこと。
一見時間の無駄に思えるかもしれませんが、とりあえず形だけでもやってみたり、思い出した時にやってみたりするだけでも、何か気がつくことがあるかもしれません。
ぜひ一度、食事の前に手を合わせ、「いただきます」と言葉に出し、目の前の食材や料理に思いを馳せるという行為をお試しいただけたら、と思います。