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心を枯らす除草剤のような親 vs コーチング思考を持った私

子どもの頃からナチュラルにコーチング思考です。

セルフコーチングができれば、どんな風にネガティブへっちゃらマインドになれるか、という実例ですね♡

と言っても分かりにくいでしょうから
どんな風だったか、とお話しします。

以前にも
「こんな毒を吐く親」
として紹介したエピソードですが、
今回は、その時のわたしの「思考」について書いていきます。

小学校の頃、珍しく作文を先生に褒められ、
(普段はほめられない)

喜んでそれを持ち帰り母親に読んでもらった時の彼女のリアクションが

「これが?どこがええんか分からんわ。アンタの先生ってセンスないなぁ」

であったのですが…(あり得なくない?と親になった今も思う)

ここで [子どもの頃のわたしの思考] を
今、大人のわたしが解析すると

1.まず事実として、国語教育のプロは先生
つまり、
先生の反応は評価
親の反応は、ただの個人的感想にすぎない

我が母の発言は「好み」の問題であろう、と想像する

2.次に自分の気持ちを確認
自分は、この作文をどう思っている?

もちろん好き
他人が否定したくらいでは「好き」は揺らがない。
(これしきで揺らぐ自分軸ではない)

3.で、この流れから出せる自分なりの結論は?

親の「感想」は無視して良い
ということ

4.さあどうする?私はどうしたい?・・・というと?

「気持ち、切り替えて遊びに行っちゃおう」っと・・・

こんな感じです。

我ながら、どこかオカシイ小学生だよね、と今なら思ふ。

5.この経験で何を学んだか?

自分の親は、実に良い反面教師になってくれた、と思ってます。
このエピソードから学んだことは
「人の幸福感を潰すような人間にはなるまい」
です。

こんな感じで
・事実を見る
・自分の気持ちを聞く
・自分がどうしたいか聞く

という流れの考え方で生きてきました。

親の毒でいちいち枯らされてたら、私の心は今頃は「荒野」ですからね。

親が正に「自己中」だったので、
それに対抗するにはこんな精神を持つしかなかったんでしょうね。

自分がどう思い、どうしたいか?が一番なので
(思い通りにならないことはあれど)
鋼のメンタルとガッツリつかんだ自分軸を離すもんか!って感じ?
( ´艸`)

そうして今の自分があるんで、ある意味「感謝」ですね笑。


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