名前を着替える
名前と服って、よく似ている。
自分が自分の名付け親になれる現代で、私たちはもっと自由になれる。
1.なりたい自分になる
私が初めてSNSに触れたのは、高校一年生のとき。
今どきの子からは考えられないほどのスロースターターです。
始める前に、「本名だけは入れてはいけない」と
親に口を酸っぱくして言われましたから、
本名に代わる名前を考えなければいけませんでした。
初めての経験でした。
自分に、自分以外の名前を付ける。
なんて新鮮で、面白い文化だろうと思いました。
名字は親から貰うもの。名前は親が付けるもの。
そんな固定観念が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちました。
親とセンスが似ているのか、はたまた刷り込みの賜物か、
私は私の名前をかなり気に入っていて、
これまでに「憧れの名前」を考えたこともなかったので、
一番近くにあった父の本棚から、「檸檬」と名付けました。
さっそく、趣味を書いてタグをつけて、友達募集のツイートをしました。
入念な事前調査の甲斐もあってか、すぐに何人もの友だちに囲まれました。
「それなんて読むの?」
「レモン好きなの?なんで漢字なの?」
梶井基次郎の『檸檬』を拝借してるんだよ。
ちょっと画数は多いけれど、可愛い名前でしょう。
親にもらった名前を褒められるのも嬉しいけど、
自分でつけた名前を褒められるのはもっと嬉しい。
「新しい名前なんて違和感があるんじゃないかな」
「自分のことだと思えないかも」
という不安は一瞬で消え去りました。
それから3か月も経つ頃には、
もう町中のレモンが他人事ではなくなりました。
季節は夏に向かっていて、雑貨屋さんではレモンとパインの
熾烈な争いが始まります。
今まで特に好きでもなかったレモン柄に目が行くようになり、
水色よりも黄色を手に取るようになり、
ふと聞こえる「レモン」に気を取られるようになりました。
今では数年間、「檸檬」としてのTwitter生を歩んでいるわけですが、
今横においてあるレモンの形のポーチの中にはレモン味のキャンディが入っています。
名前から与えられる影響ってかなり大きいと思います。
だったら、なりたい自分を名前にしてしまえばいいのでは。
2.役割分担
昨年の秋、とうとう実生活でもハンドルネームを使う時がやってきました。
新しく始めたアルバイト先でのことです。
どうやら過去にお客さんと店員の間でトラブルがあったようで、
ここでは全員が名字を変更して呼び合うのだそうです。
素敵な取り組みだと思いました。
学校に行っている「私」とTwitter上の「檸檬」が同一人物と分かる必要がないように、アルバイト中の「秋本さん」と明日の一限に起きられるか不安な「私」もまた、同一人物である必要はないのです。
秋と読書が好きだから秋本さん。
お店の中でだけは「秋本さん」に返事をして、
お仕事が終わればスイッチをオフ。
お客さんに身元を調べられる心配がないこと以上に、
仕事モードとプライベートモードの切り替えやすさに驚きました。
私にとって「秋本さん」は、カフェの制服と同じです。
店員以外のプロフィールは何もないので、お客さんの厳しい言葉にも
冷静に対応できるようになりました。
用途に合わせて、名前を変える。
そう後ろめたいことではないと思うのです。
これまで、「檸檬」と「秋本さん」のお話をしました。
最後に、「春風みる」の話を少しだけ。
春風みるは、noteにも、Twitterにも、YouTubeにも一人しかいません。
どこかで名前を覚えてくれた人が、検索ですぐ私にたどり着けるように考えました。
春の風に乗って新しく生まれた自分を使って、何でもやってみる。
名前をつけたら、新しい自分の誕生です。