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【心】ある日壊れてしまった私
17歳になって一か月。遠い昔なのに忘れもしない、6月1日。
私は学校へ行けなくなった。
前日は確かテスト休みだったと思う。
うちの学校は少し珍しい前期後期の二期制の高校で、
前期中間テストが終わったあと。
朝起きて、行きたくないと思った。
ずる休みをしたことも、さぼったことも一度もなかった。
でも学校に、行けなかった。体が動かない
泣いた。行きたくないと、どうしても学校に行きたくないと泣いた。
母親は、突然どうしたと思っただろう。
それは私自身もそうだった。わからない。
突然どうしたのか私もわからなかった。でも行けなかった。
結局その日は初めて休ませてもらった。
一時的なものだと、思っていた。
中間テストの成績は悪くなかった。
というより良かった。めちゃめちゃよかった。
赤線ならぬ、赤丸っていう制度があって、
教科ごとに上位何人かだけにつけてもらえるんだけど、
いくつかもらった記憶もある。
いじめにあったわけでもなかった。
クラスの中心にいられるようなタイプではなかったけれど、
地味は地味なりにグループを作っていたし、楽しくすごしていた。
勉強も嫌いじゃなかった・・・と思う。
ある程度は強いられてしていたものではあったけれど、
やればやるだけスコアが上がっていくのは楽しかった。
成績順のクラスは大体トップにいた。
なのに。
その日から私は学校へ行けなくなった。
一日だけのつもりが、一週間になり、
一回学校に行ってはみたけれど早退し、そこからまた一週間休み、
・・・どうしていいのかわからなかった。
何がそうさせているのか、どうしてそうなったのか。
わからない。ただ何もできなかった。
気づいたら休みたい。だけではなく、
死にたいと嘆くようになった。
毎日死にたいと嘆いていた。
夜眠るとギロチンで首を落とされる夢を見た。
ナイフで首を切る夢も見た。
こんなに時がたってもまだ覚えている。
寝ても起きても、私の頭は「死」についてしか考えていなかった。
壊れてしまった。私は突然壊れてしまった。
小さい頃からいい大学にいくのが夢だった。
何がしたいとかは別にない。
いい大学にいっていい会社にいく。安心してお金を稼ぐ。
それだけを目指して生きてきた。
うちは両親の中が悪かった。母は、幼い頃から、
お金がないから離婚が出来ないと常々繰り返していた。
その影響があるのかないのか、私は結婚にあこがれることなく
とにかく自分で稼ぎたいと思っていた。
そのためにはいい大学行くことだけがすべてだと思っていた。
それが目的のように生きていた。
小さい頃は東大に行くんだと息巻いてた。
そんなに優秀ではないことに途中で気づいたので、
高校上がるころには東大は厳しいかもなぁとおもっていたけれど、
早慶か国立の上の方を目指すつもりでいたし、
実際に偏差値もある程度出していた。
全国模試で順位は3桁。狙えない学力ではなかったと思う。
おそらく人生で一番まともだった頃。
なんの憂いもなく進んでいたころ。なのに。
ただ今振り返ると。
私には何もなかったと思う。
やりたいこと、好きなこと、これをして生きていきたい
というようなこと。が何もなかった。
ただいい大学に行くって考えていた。
いい大学ってそもそもなんだろう。
高校二年生はそろそろ細かく進路の話が出てくるころ。
私はそれから無意識に逃げたのかもしれない。
それが体に出てしまったのかもしれない。
でもその時は何もわからなかった
わからないまま、ただただ苦しかった。
わからないから何もできなかった。
何故苦しいのかなんて考えられなかった。
ただ私は歩みを止めてしまった。
私の未来は6月1日に絶たれてしまった。
私自身が絶ってしまったんだと思う。
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