【考え事】友達の定義
コロナが流行って早一年。
「友達」に会えなくなった。という話をよく聞く。
親しい人や友人たちと食事をする機会や話す機会が減った。
それでより孤独を感じる人が増えている。と。
どこにでもありふれている「友達」という言葉。
誰の会話とでも出てくるこの言葉に、若干のアレルギーを持っている。
私は自分には「友達」がいない。
・・・とずっと思ってる。
ご飯を食べに行く人も、家に来てくれる人も、SNS等で話す人も、
何かしらの同じコンテンツを楽しむ人も、
旅行に行く人もいるけれど、
「友達」と言われると首をかしげてしまうのだ。
原因はわからない。いじめられていたというほどではなくても
嫌われてしまうことを過度に気にする性分ではあるけれども。
何故その人たちを友達と思えないのか。
一緒にいてくれる人たちにとって
「別に私である必要はないよね」という想いがたぶん
強くあるんだと思う。
たまたま、その時都合がよかったのが私だったから、
以上の理由が見つからないのだ。
相手にとって心地よい場所は作ってあげやすいと思う。
いい人っぽい行動は嫌われることを過度に気にする
私にとってはたやすい行動だし、
大概の人が自分の話をきいてもらいたいものだから、
聞き上手でいることもできる。
敵を作らないように幼い頃からとにかく笑顔を意識していたのも
あいまって、電信柱に話しかけるよりは、頷いて笑顔で聞く私は
たぶん誰にとっても、ちょうどいい。あくまで電信柱よりは。
いつか私の前にいる人たちも、
別の気の合う人が見つかれば、いなくなるんだろう。
そんな想いが友達という言葉を私の中から消してしまう。
便利に使われていた私が便利じゃなくなればいなくなるなら、
それはもう友達じゃない。
なので一回飲みに行ったらもう友達!
みたいなタイプはものすごく苦手だったりする。
多分やっかみなんだけれども。
私の知人にも一回飲みに行ったら友達タイプは複数存在する。
そのうちの一人は、とにかく友達の交換のスパンが早い。
会話のなかに、〇〇はもう切ったからという言葉が頻繁に出てくる。
共通の知人が数人いなくなったケースもある。
それは友達というのだろうか。
親友と呼んでいた子とも一年と続かず交流を絶っていたが、
親友ってなんだろう。。。
親友や友達ってずっと切れないもので、
勿論その時々で連絡の頻度は減ったりするのかもしれないけれど、
縁を続けられる人たちのことだと思っていて、
もしかしたら私自身が「友達」や「親友」という言葉に
幻想を抱きすぎているのかもしれないけれど。
皆さんの友達の定義ってなんだろう。
「友達」という言葉を聞くたびに考えてしまいます。