437.お金に価値がある理由は「みんなが価値があると思っているから」ではない?
お金にはなぜ価値があるのだろうか?
みんなが共通して、この紙幣や硬貨には「価値がある」と思っているから。
そういったどこか人間の共通観念のような答えもあるそうですが、実はそうではないという。
強制通用力。
どうやら、お金に価値があるのは、結論「法律で決まっているから」ということらしい。
お金は”決済の道具として無制限に通用するもの”
日本銀行法第46条第2項で、「日本銀行が発行する銀行券は、法貨として無制限に通用する」と定められている。
日本銀行の発行する紙幣や硬貨だとしても、それ自体には価値がほとんどない。
ではどんな担保をもって、お金のやりとりが価値の交換だとみなされているのだろうか。
以下の日本銀行ホームページに書かれている内容がとてもわかりやすかった。
お金のやりとりとなったら、この紙幣と硬貨で通用する、と法律で定められているため、お金が価値として通用しているようだ。
つまり、お金の価値は別に人類みんなで思い込んでいるからではなく、単純に国家が定めているという、一つの決まりがあるからのようだった。
「決済」=「settlement」=「落ち着くこと、安定すること」
お金のやりとり、つまり決済はこうした価値の交換において互いに決まりがつく、といったことでもある。
英語で「settlement」というらしいが、いくつかある意味の中でも「落ち着くこと、安定すること、合意」などといった意味も持っている。
価値の交換に対して、お金の支払いと回収(決済)が完了し、落ち着いたところで安定するみたいな意味もあるかもしれない。
なかなか興味深い概念である。
生まれたときから当たり前のようにやりとりされているお金。
1,000円は学生にとってもサラリーマンにとっても、億を稼ぐような経営者にとっても同じ1,000円である。
この仕組みや決まり、社会性は確かにとても素晴らしいものだと改めて感じるものだ。
誰が最初に考えて運用を始めたのだろう。
未来のお金の姿
「今現金持ってないんだよね」
「PayPayならあるんだけど」
「口座には入っているんだけど」
近年、こうしたセリフが増えてきたように思う。
かくいう僕も、現金を持ち歩くのは必要最小限に留めているため、いざ必要となったときに困ることもしばしば。
お金は今となっては、紙幣や硬貨といった物体ではなく、「数字」として捉えられてきているように思う。
銀行口座のネットバンキングで家賃を支払い、買い物はSuicaかQRコード決済、カード決済で済ます。
友人と割り勘のときは送金アプリを使い、端数を誰かが多く支払う問題にも終止符が打たれている。
お金はあちこちのサービスを行き来する数字と化していて、もはや現金を手にしなくてもそれで成り立っているじゃん、と社会人3年目ぐらいのときに気が付いた。
これからのお金の姿は、一体どう変化していくのだろう。
一見、NFTや仮想通貨など実体のないものがお金のようなものとなり、資産化しているように感じるが、それをいうなら不動産もそうだし、株式もそうかもしれない。
お金の姿は、現ナマから数字に変わり、そして今後は何かお金としての実体のないものに宿っていき、どんどんその主体が変遷していくように感じる。
そういった観点からも、話は若干ずれるが自らの経済圏を形成すること、経済圏となるに相応しいコミュニティを知ること、投資と回収の感覚を磨くこと、これはとても大事なように思う。
お金は社会の中に存在する。
さて、未来のお金の姿は、一体どんなものになっているのだろうか。
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