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344.第四章が終わったのですが、この先はまだ書いていないという現状の報告
季節とともに進む物語。
高校野球最後の一年間というのを表現するにあたって、章立てごとに季節が変わるのは演出として綺麗だなと思って取り入れました。
そんな本物語もいよいよ冬が終わりました。
第四章の最後の一文は、こういった文章で締め括られています。
冬が終わると、春が始まるように、この世界はできている。
たったこの一文に、どんな意味が込められているのか。
スランプを相談した桜乃の姿や、秋仁自身が春が来ると信じて努力をしてきた経験など、いろんな想いが込められているように感じられたら嬉しい限り。
冬が終われば春が始まる、みたいなごく当たり前の文章も、状況や心境と重ねるといろんな汲み取り方がある。
そういった言葉遊びが大好きなのです。
まあ、単なる書き手のエゴの塊のような解釈なので、正解不正解でもなければ別に伝わらなくてもいいと思っています。
小説はあくまで芸術性の表現媒体の一つでしかないのですから。
問題はこの続きを書いていないという現実
実は第四章の途中まで書いて、筆を止めていました。
当時は自分の環境が大きく変わるタイミングで、そのまま少し離れてしまっていました。
ちょっと書き足して第四章が終わってから、こうして投稿をし始めたのです。
なので極端に言うと、まだどう完結するかは著者の僕ですらわからない。
電子書籍『小夏のブルペン』でもそうでした。
僕の小説は、だいたい終わりをぼんやり決めた状態で走り始め、途中になってもなかなか決まらず、登場人物たちが勝手に動き出すのを待っていたりもします。
もちろん、第五章と第六章はどういう内容かは決めていますし、この方向性で完結していくという道筋も立ててます。
ただ、それを文章表現に落とし込んだ時に、登場人物たちが何を感じてどう動くかは厳密にはわからないのです。
こうした登場人物が勝手に動き出す現象は、小説家や漫画家ではよくあることかもしれません。
僕は割と今までの作品は、勝手に動き出して思わぬ流れになった物語ばかりです。
その現象を感じた時に、初めて物語は生きていて、登場人物に血が通っていることを感じるのです。
さて、ということで。
noteが主催している『創作大賞2023』は、締切が7月中旬。
コツコツ続けようと思います。
今までより『真夏のコスモス』の更新頻度は下がりますが、その間に一度読んだ人は振り返ったり、まだの人はぜひ読み進めてみてください。
以上、現状報告でした。
第五章、物語がどう展開するかお楽しみに。
春になるので、春休みの合宿からゴールデンウィークまでの話を書こうかなぁと思っています。
乞うご期待。