280.「まずは300記事」と書き始めて、いよいよ目前に
今まで、小説の文章しか書いたことがありませんでした。
小説の文章は表現であり、説明であり、言葉遊びでもありますから、記事に書く文章と全くもって性質が違います。
最初は苦労しました。
必要以上の言葉で物語や心情を装飾するのが小説なら、不必要をできる限り排除するのが記事、みたいな印象です。
実際は単に必要不必要の話ではないと思いますが、こうして幅広く文章を書けるようになったのも数をこなしてきたからだといえるでしょう。
(幅広く、といったものの、noteの文章はだいぶラフです。記事書くときは、もう少しちゃんとしてますよ。)
ブランディングやライティングを学ぼう、と思って記事に手を付けました。
そのとき最初に教わったのは、「まず300記事」でした。
300記事書いてからが、スタートだそうです。
どの世界にも必ず存在する「数を経験する」こと
300記事といわれても、最初に書いた文章なんか記事と呼べる代物でもありません。
ただ、それでもひたすらに書き続けました。
noteですら、昨年と今とでは全然自分の文章も違います。
ただひたすらに書き続ける。
トータルでは300記事は超えていますが、このnoteも今280記事目。
いよいよ、単体の媒体での達成が目前に見えてきたのです。
300記事は結構な数字だと思います。
一年かけてやろうと思って、昨年はすべての媒体で書いている記事を併せると316記事でした。
今年はペースは落として、その分文章力やそもそもの文量に大きく違いを出して書いています。
どの世界にも、必ず存在しますよね。
数、量をこなすこと。
ここを通らずして、上達は存在しませんね。
日々、コツコツと書き続けます。
この感覚は、何かに似ていて久々だな、と感じました。
すぐに合点がいきました。
すでに高校生や大学生のときに、この感覚を経験していました。
「なんでそんなにやるの」と言われるぐらいがちょうどいい
高校野球部時代、人生で一番バットを振っていました。
練習が終わると部員を置いて一人でさっさと帰ります。
家まで1時間半ぐらいかけていましたから、19時半頃に帰宅、そのあと21時までに食事と風呂を済ませ、24時ぐらいまで素振りをします。
今思うと、本当に何が面白くてあんなにバットを振っていたのかわかりません。
多分、やっている自分も楽しいからバットを振っていたのではないと思います。
打ちたいから。
ただ純粋にその想いに突き動かされていただけだったかもしれません。
さて、今に置き換えると、果たしてこのライティングという観点でも、同じように活動できているでしょうか。
誰かに学んでいる以上、そんなにやって意味はあるんだろうか、などと考えること自体不毛です。
学んでいる人がそうやって結果にしたのなら、同じようにまずはやってみる以外に方法はありません。
本当に、それぐらいやっているだろうか、と今でも振り返ります。
今も、自分の想いに突き動かされるように、願望に身を委ねて、動いているだろうか、と。
noteを書くことがどの想いや願望につながっているのだろう。
300記事の到達が、文章力のアップが、毎日記事をアップすることが、
フォロワーを増やすことが……。
何につながっているのだろう。
すべてがわかってから進んでいると、人生はすぐに終わってしまうほど短いのだから。
まず、走り出す。
300記事まで、あと20記事。