過去の思い出
心身ともに疲れが取れない。
こぼれ落ちるものと残るものがあって、そのザルみたいなものが社会の構造だとしたらそれは年齢が上がっていくにつれてザルの目は大きくなって最終的にはほんの少ししか残らないようになっているのか。
ザルから落ちたものはまた違うザルにかけられてそこでも落ちたり残ったりする。
選ぶ、選ばれる立場は固定化されたら変わることはなくなる。
プレイヤーはいつも選ばれたり選ばれなかったりで、選ぶ側にはならない。
疲れている時に思い出すことがある。
通っていた女子校の宗教の授業のことだ。
私は中学の時男子からの悪質ないじめに遭っていたので、近所の高校へは行かず電車通学でいける私立の女子校に行った。そこは小学校の時の友達が中学から行っている高校で、偏差値的に行けそうだったのと、敷地が広く森のような中にあったのがなんとなく気に入った、というくらいの理由だった。そこは浄土真宗本願寺派の仏教の学校で中高一貫、大学もあった。
そこでは退屈ながらも平和に暮らし、友達は少ないけれど攻撃されることもなくほとんどの授業を寝て過ごし、毎日遅刻しながら通った。
そんな中でも毎朝、朝の時間には数珠を持って三帰依文を唱え、週一回は朝会で御仏の言葉を唱えたのだった。
そこでは倫理の授業がなく、代わりに宗教の授業があった。主に仏教についてゴータマ・シッダールタの人生について学んだ。
シッダールタは小さな国の王子だったが、人生に疑問を持ち(四門出遊、期末試験に出た)、国や家族を捨て出家の旅に出るのだけどその前に結婚して子どもができている。
その子どもはラーフラというのだけど、宗教の教師(僧侶の資格を持っている教師)がその意味を「妨げ」と言っていた。
ラーフラが生まれた時にすでにシッダールタは出家したいと思っていた。しかし子どもが生まれたことで、「この子は私の出家の妨げになるだろう」と思い「妨げ」という名前にした、というエピソードを聞いた時、あまりのひどさに驚いたものだった。
後にラーフラもまた釈迦の弟子になり、十六羅漢のうちのひとりになったそうだ。
シッダールタを産んだのはマーヤー(期末試験に出た)、ラーフラを産んだのはヤショーダラー(これも期末試験に出た)。ヤショーダラーは女性の出家が認められてなかった中で釈迦に何度も懇願し出家し、比丘尼になった。
苦行でボロボロになったシッダールタを助けたのはスジャータ。彼女がいたからシッダールタは快楽も良くないし苦行のしすぎも良くない、中道を発見する。(マーヤーやヤショーダラーのその後については授業でやっていないのでウィキペディアで読んだ)
授業で習ったのはシッダールタの親の名前、四門出遊について、子どもの名前、出家した時の馬の名前と従者の名前(カンタカとタンタカだったと思う)、人間の苦しみの種類と内容(愛別離苦とか)、修行の道のり(苦楽中道に至るまで)、釈迦の教え(八正道とか)だったような気がする。他の宗教についても少しやったような気がするが忘れてしまった。(キリスト教については子どもの頃日曜教会に通いそれも心の支えになっていた)
シッダールタを産んだのも女で、その子孫を産んだのも女、宗教者としてのシッダールタを解脱させるきっかけを与えたのも女だ。
私は高校時代モヤモヤとした思いを抱え、森のような敷地の中でなんとなく授業をサボっていた。
するとある日、一匹の孔雀が歩いてきた。
孔雀は私を見て、大きく羽を広げた。
なんだか夢のような出来事だった。
もしかしたら夢だったのかもしれないが。この学校では当時孔雀を飼っていたような気がする。
ぼんやりと高校時代を過ごしていたが、そこに仏教の授業があったのはよかった。生きることは苦しみという所から始まっているのが、自分の感覚とあっていた。
私は何者にも帰依することはないが、いつか苦しみから抜け出して解脱はしたい。