剣客商売第2巻2話 辻斬り
小兵衛がくらやみ坂を不忍池に向かって歩いていると、侍が襲ってきた。辻斬りである。気絶させ、そっと尾行すると、幕府(こうぎ)の御目付衆で千五百石の直参・永井十太夫の屋敷に入って行った。
小兵衛辻斬りにあう
51)小兵衛は、②一乗寺前から③善光寺坂を横切り、④松平伊豆守の下屋敷(別邸)に沿った道へ入った。
左側は、鬱蒼たる上野山内の森であった。
※近くに清水坂というのがあり、別名くらやみ坂。この道のことかも?
52)小兵衛は、谷中の三浦坂上にある➀長円寺をおとずれ、久しぶりに覚順和尚と碁を・・・亡師・辻平右衛門の親友であり、むかしはよく、麹町の辻道場(A)へあらわれたものだ。
52)右側の松平屋敷の塀外をすぎ、道が⑥不忍池への下りにかかったところ⑤であった。
※⑤は、辻斬り現場です。未遂でしたが。
下の地図上、三浦備後守の「三」の字の上というか…下にある道に「ミウラサカ」とカタカナで書かれている。小兵衛は、「三浦坂上」の寺で碁を楽しみ、帰宅、たくさんある寺(地図上、赤で囲われている場所)の間の道を南東方向(この地図は北東が上になるので、真下)に歩き、
「一乗寺」の道に出て、「松平伊豆守の屋敷」と「上野山内」の間の道を歩いた、とある。「伊豆守屋敷」の長い塀が終わり、「秋元但馬守屋敷」に差し掛かる辺りで襲われたと思われる。
現代の地図にマークを置きながら、屋敷がばかでかいのに驚く。いや、不忍の池がもっと大きかったのか? => 検索で明治になって埋め立てられたと判明。私の地図は間違っていたっぽい。タイムマシンがあって、検証したら水没したかも?
↓)不忍池の資料発見。ご興味がありましたら、ご参照ください。地図キレイ。
犯人を追う
54)わしはな、物陰にひそみかくれ・・・
「⑦神田駿河台の旗本屋敷へ入った」
56)幕府(こうぎ)の御目付衆で千五百石の直参・永井十太夫の屋敷
※屋敷は不明につき、「神田駿河台」で検索した場所とした。あとのストーリーから、もう少しお城に近い場所かも。大目付だし。
小兵衛の反撃
60)5日ほど後の夕暮れに近いころおいに、⑧神田・昌平橋の西方、⑨淡路坂の上にある⑩太田姫稲荷の社の玉垣に沿った道を家来・内山弥五郎が歩いている。(略)
右手は、神田川の上の堤。左は武家屋敷がたちならんでいる。
・・・鈴木弾正という旗本の屋敷の角からあらわれた町駕籠に、若い浪人風の男がつきそい、こちらへやってくるのが見えた。(内山は鐘ヶ淵へ)
※⑩については、現代と違い、川端(崖の上っぽい)にあったことが判明。昭和6年に現在地に遷座。
62)⑪田安御門外に屋敷をかまえる旗本・森清右衛門方へ使いに出ての帰るさ、⑬今川小路の手前の⑫俎板橋をわたりかけると、<=このくだり、かっこいいです。
第三者の仲介(第三者じゃなかったけどね)
71)「拙者、⑭中ノ郷・横川町に直心影流の道場をかまえる市口孫七郎・・」⑮麹町平河町二丁目の菓子舗・桔梗屋の将棋落雁(スイーツのニュースは落とせない)
77)中ノ郷・横川町は、法恩寺対岸の、横川のながれに沿った西河岸になっている。 このあたり、古くは武州・葛飾郡(かつしかごおり)・中ノ郷村とよばれていたが、貞享年間に、幕府が江戸市中の内として、代地をあたえたものである。・・・ 市田孫七郎の道場は、北割下水と横川が合する角地にあり、濠をめぐらした構えも・・市田道場の西側は、幅二間の道路で、南側は二百坪ほどの空地になっていた。そして北側は北割下水。東側は土手を背にして横川がながれている。
※上の道場が決戦地!もちろん大治郎=小兵衛軍の大勝利。
見づらいので、➀から⑥までを 拡大してみました。➀から坂を下りて、②のわきを通り、まっすぐ(道なり)南へ。道の左側は寛永寺領地でしたから、そのヘリに沿って不忍池の方向へ行ったものと思われます。