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江戸時代に生きた人
明後日は、地域史の勉強会。準備中です。
今期のテーマは、「地域特性について」に決まり、みんなで書いたものを持ち寄ったら、結構、記事が重なっていました。
それなら別の方向にいってもいいかな、とすぐふらふらする私。ちょっと頑張って「やり方がわからない、読めない」けど目の前にある資料に取り組むことにしました。
市場の相場表だから、って先輩のアドバイス。
驚きました。天保の飢饉の最初の年の、相場表だったのです。
米の所が、米の値段。数が多いほうが「安」少ないのが「高」。円ドルレートに似てますね!(気づくまでちょっとかかった・・・( ;∀;))
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多分、一両で買える分を書いているのだと思うのですが、もし間違っているとしても、比較は大丈夫なので、続けますね。
(今月末に先生が来るので、聞こうと思います)
米の値段を見ていただきたいのですが、
単純比較で、天保4年の正月と、天保5年の正月。
なんと、倍なのです!
天保4年 9斗1・2升 天保5年 4斗5升
当時は、米が「給料」(武士のですが)、「税金の基本」になっているわけで、給料が倍になったことになります!
農家にとっては、米で納める限り、同じことになります・・・。当時は、不作のときも豊作のときも同じ税率だったので(江戸初期には、毎年代官が見に行って調整していたらしい)、余計に苦しい。この日記の著者も、代官に検見(不作の現場を見て、裁可してもらうこと)を申し込んでいます。
もう一つ、大豆の値段にご注目ください。
2月から6月まではオリジナルの史料に記載なしだったので、表も空白。もしかしたら、全部売り切っていたのかもしれません。
新大豆が取れた時点でまた掲載が始まりました。天保4年7月に新大豆が市場に届くと、同1月の段階では1両で1石に足りなかったものが、1石2斗5升の安さです。そしてだんだん値があがって、天保5年1月には、昨年と同じレベルに落ち着きました。
そうなのです。こちらは!値段、そう変わっていないのです。
天保4年 9斗5升 天保5年 9斗7升
天保の飢饉は小氷期による冷害が引き金だったそうですが、大豆って、寒さに強かったっけ?とあわてて理科の教科書を引っ張り出した次第。
そのころには取引が薄かったという、稗(ひえ)の値段も日記に書いてあって、背筋が寒くなりました。
この村では、村の備蓄庫にある稗の一部を村人に分けました(代官に許可を申請する書類、村人全員の名簿+馬の頭数により判明)。
だけど、天保の飢饉はまだ5年続きます。やっぱり背筋はぞわぞわしたまま。
政府(幕府)の方針で、村に備蓄庫を設け、この村では真面目に蓄積してきていました。みんなの協力で乗り切って、幕末には新しいプロジェクトを成功させたそうです。
その前にも、水車を川に設置(工業化!)し、貸し借りしながら上手にやりくりしています。
ああ、ぞわぞわを緩和しようとしている私・・・すみません。
何となく、自分たちの・・我が時代の課題が投影されて、考えちゃったことでした。
今日もいい天気でよかった。
御地も幸せでありますように。