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漫画を描いたらやりたいことがみつかって、心理学の大学に入った話

※2024年10月13日追記


旅漫画「女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。」を出版したのでnoteを書こうと思ったら、3〜4年前に鬱だったときの日記が下書きに残されていました。せっかくなので記録として公開しておきます。心身が疲れている人はスルーしてください。

初出版「女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。」も冒頭にさらりと鬱シーンを描いてるけど、内情はこんな感じでした、ということで。

以下、2021年2月5日の鬱日記


昨年の今頃(2020年)、私は泣いてばかりいた。

まず、2020年の1月に大失恋をした。ちょうど1年付き合った人に、「やっぱり元カノが好き」と言われて振られた直後だった。旅先でばったり3回会って意気投合した、だいぶ年下の方だった。脳内お花畑な1年間を過ごしていただけに、いきなり谷底に突き落とされたようなショックを覚えた。(しかも元カノさんはさらに若かった)

次に、2020年2月に、病気の疑いを宣告されたことだ。ある原因不明の難病で、皮膚の組織が弱いことからさまざまな合併症を引き起こすもので、結果として大動脈解離による突然死のリスクが高いというものだ。ある特徴を有することから母の勧めで渋々赴いた先の病院で、その道の専門家たる70代の医師に宣告され、目の前が真っ暗になった。「30代で突然死のリスク」「それを回避するには、大動脈基部があと◯ミリ膨らむと人工弁手術を受け、血圧を下げる薬を飲み続けないといけない」

死が怖くて怖くて、夜、寝られなくなってしまった。

極め付けが2020年2月末頃から猛威を振い始めた、COVID-19による感染症(以下コロナと呼ぶ)である。

私の所属する会社はコロナ対応が早く、2020年3月にはフルリモートワークに移行していた。それはありがたい環境ではあったが、一人暮らしワンルームの住居で、生身の人間と合わず、代わり映えない自炊メニューを頬張りながら、解像度の低い画面を通じて、仕事だけが土足でパーソナルスペースに侵入してくる日々は、失恋・病気疑いですでに2段階落ちている身にはかなり応えた。

そもそも私は仕事ができなかった。人前でうまく喋れないから打ち合わせやプレゼンテーションも苦手だし、抜け漏れや思い違いが多くて、1の仕事を10にしてしまうようなタイプだった。評価も低い。会社しか社会との接続点がないのに、一体自分の価値はどこにあるのだろうと思い詰めた。

漫画を描いたら、やりたいことが見えてきた。


時系列でいうと少し前後するが、2019年10月〜2020年3月までの半年間、コルクラボマンガ専科という漫画の学校似通っていた。31歳のときだ。

そこでずっと、自分のやりたいことについて考えていた。

中でも文章表現教育者・作家の山田ズーニー先生による、「自分の描きたいテーマや感情に根本から向き合うワーク」は、雷に打たれたような衝撃があった。

(ちなみに #コルクラボ漫画専科 についてかいた記事)

ワークを通じて、漫画で書きたいテーマを通り越して、自分の人生でやりたいことが見えてきたような気がした。

失恋は辛かったが、時間が解決してくれるであろうことは目測が立てられた。しかし、思ったより相当早く死ぬかもしれない、死なないにしても身体が不自由になるかもしれないという恐怖は、乗り越え難いものだった。自分の幸せとか自分のキャリアとか自分の健康とかばかり考えていても、八方塞がりに思えて、辛くなる一方だった。

転げ落ちるように鬱状態に向かう傍で、考え方をずらすことにした。

誰かの助けになるようなことをしたい。誰かの役に立ちたい。

誰かの助けなんてもちろんエゴである。(※追記:今見返すとより一層独りよがりに感じられる)ただただ自分を救いたい、誰かの力になることで自分が救われるような気がする、その一心だった。

そこで思い至ったのが、長年ちゃんと向き合いたいと考えていたメンタルヘルスというテーマだった。

これらは、2020年2月、難病疑いを言い渡された後にガストかどこかで泣きながら書いていたメモだ。真剣に人生を考えた。

残りの人生で何をしたいか?

例えば5年後に身体が不自由になる可能性があるのであれば、この5年はなお一層濃密に生きなければという気持ちが湧いてきた。

やりたいことというのはどこか、他の選択肢が削られて削られて、自分にはもうこれしかないのかもしれないと思い込むことでより、覚悟が強まるものなのかもしれない。

そこで早速、コロナで外出自粛が厳しくなる直前に、河合塾KALSの説明会にいったり、臨床心理学について調べたりした。

今後5年程度の人生計画

こうして私は、2020年4月、編入学という形で、ある大学の通信教育課程・心理学部の門を叩いたのだった。

追記:その後の経過と今思うこと。

まず難病について、半年後にセカンドオピニオンを受けた。医師曰く「確かにその傾向はありそうだけど、経験的にそこまででもない」といった内容だった。まずはホッとした。気に病む方が体に毒なので一旦あまり考えないようにし、経過観察を、ということにした。

心理学の通信大学自体は、期待通りの部分と期待外れの部分があった。(期待外れ→カウンセリング実習のような機会は少なく、基本は本を読んでレポートを出しまくるカリキュラムのため。)

しかし、大人になって自分から学びたいと希求した分野を学ぶのはとても楽しかった。学ぶ仲間ができるのも得難かった。

授業を通じて知り合った臨床心理士・医学博士の沢哲司先生のもとで実践的にカウンセリングや臨床心理学を学べることになったのは、思い切って大学に入学して一番よかったことだった。沢先生は安定した大学教員を自ら辞め、合同会社FromUという臨床心理学を広めるための会社を起業した挑戦の人だ。

沢先生の事業のコンセプト作りや、社会人が臨床心理学を実践的に学べるゼミを立ち上げる際、私も少しお手伝いさせていただいた。 (FromUの公式サイトの言葉とデザイン、ゼミ運営など)。社会的に自信がなかったので、誰かの役に立てるのは嬉しかったし、ゼミという第3の居場所ができたのはありがたかった。しかも心理学の分野で。先生には代わりにカウンセリングや発達障害、WAISの心理検査などを実践を通じて教えていただいた。

卒業論文は休職、もっというと他人の評価を気にする度合いとメンタル不調による休職の関係性をテーマにした。155名に長めのアンケートを実施してまとめ、「メンタル不調による休職経験者の自己価値の随伴性とストレスおよび欲求不満反応」という形で発表した。2022年の春に無事卒業した。

心理系の大学院に行かないと公認心理師も臨床心理士も何の資格も取れないが、今のところは保留ということにしている。現在は沢先生のゼミに参加しながら、心理学の学びはゆるく続けている。

心理学通信大学や沢先生のゼミで奮闘する様子は、 #社会人心理学生日記 をつけてツイートしている。



会社ではメンタルヘルスに関する自主プロジェクトを立ち上げ、紆余曲折ありつつ、仲間に恵まれ、もうすぐ4年になる。

その後、卒業後の燃え尽き鬱を経て、2022年にインドのラダックをひとり、バイクでツーリングした。その経験を同人誌「ワンマン夏休み」に描き、その反響から2024年9月に漫画「女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。」を出版した。本書は、旅本・バイク旅本の顔をしているが、根底に書きたかったのは自身の鬱体験、メンタルヘルス、消耗した社会人が旅を通じてt自分を取り戻す過程だ。

その間にも律儀に躁と鬱を繰り返してはいるが、厄介な自分は結局ずっと付き合い続けるものだと思うようにしている。これは諦めでもあり、覚悟でもあり、解放にも近い。

久しぶりに3年前の日記を読んで、当時はこれほど思い詰めていたこと、思い詰めながらももがいて新しい道に踏み出したことが、今の自分をつくっていると感じた。よく頑張ったよ、と当時の自分に声をかけたい。

まあ、また出版の反動(5ヶ月間くらい朝まで作業が続いて命を削ってしまったし、とにかくずっと動悸が止まらなかった。)と季節的なこともあって特大級の鬱が来ると思うけど、何とかやっていこうな、、、。

(その後やっぱり自分の鬱日記にくらって、一晩ものすごく落ち込んだ。よく寝たら少し元気になりました。)

こんな思いが全部に詰まってバイク旅の漫画になりました。「女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。」

そんな背景を煮詰めてさわやかな?バイク旅エッセイ漫画に仕上げたのが、「女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。」です。お手に取っていただけたらすごく嬉しいです。amazonはこちら。または全国の大きめの本屋さんにあると思います。



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