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療育花育の記録 ともくん#5

ともくんは、平成25年生まれ。障害名はついていません。いわゆるグレーゾーン。普通学級に1年通い、勉強も頑張りました。2年生からは、障害クラスに入り、お母さんもともくんものびのびたのしく生活できるように少しづつなってきました。

いきものが好きで、カマキリを飼ったり、抜け殻を収集したり、遺跡を掘りに行くのが好き。いろんないきものにとても興味があり、調べるのも得意。おともだちからは、いきもの博士と呼ばれることも。


ともくん 20231031 「対面 グループ環境の中で」

終了後の経過について 親御さんから

今回は、いつもオンラインで画面越しでしか会えなかった森先生に会える日。この日を知樹は楽しみにしていました。

家ではずっと枯れたお花を飾っているのですが、朝、①「枯れたお花どうするの?森先生に見てもらうの?」と聞くと「持っていかない。」と答えたのが意外でした。再度聞いても「いいの。」と答えました。
学校帰りにお父さんとお花を買いに行って、好きな花をたくさん買ってきて満足そうにイキイキしていました。大きな花をけっこうたくさん買っていて、今までとは違うタイプのお花を買っているなあと感じました。

花瓶を大きめのものを選びました。この日は古民家で開催のため、いつもと違う環境で、今回は友達と一緒に教室に参加しました。
先生と再会して恥ずかしそうにしていました。

先生のお話、水切りの実践などちゃんと見て聞いていました。お花を生ける時間になると、先生や友達も一緒だったからかオンラインの時とは違って、いつもは無言で一心にお花を生けるのですが、今回は友達のことをちらちらと見てみたりとか、何かしゃべりながら生けたり、水切りをする時も「1、2、3、4、5・・・10」と数えながらやっていました。一本一本迷うことなく一発でここという所にお花を生けていました。

生け終わる前には「もう、僕終わるよ~。」と話しかけたりしていました。生けたお花を先生に見てもらいました。
その時私はもう一人の子の対応をしていたのでその様子が分からないのですが、良い感じだったことは確かです。後始末もできていました。生けたお花にとても満足そうでした。
できたお花を友達も一緒に飾って記念撮影。

今回は、教室中、言葉を発することが多く、コミュニケーションを取りながら楽しく教室に参加しているなあと感じました。

先生ともオンラインの時より自然な感じでよく話をしているなあと思いました。実際に会って実体験をしていく良さがとてもあるなあと実感しました。
自分だけの作品以外に他の人の作品も見ることができたのは良い刺激になったのではないかと思います。
友達が一緒だとちょっとはしゃぐ感じもありテンション高い感じも受けました。

今回はお花を生けたらそれで終わりになって、いつものともワールド(自分の思うもの物を飾る)にはなりませんでしたが、オンラインと対面でする教室での違いがよく出ていて、知樹の先生に対する態度も違っていたり、お花を生ける様子も違ったりしてびっくりしたしおもしろかったです。違いもよく分かり、オンライン教室、対面教室どちらの良さもあるなあと思いました。
「楽しかった。」と言っていました。

選んだお花や生け方がすごくともらしいなあと思いました。今回対面指導で一番感じたのは、やはりコミュニケーションがよくとれるんだなあと思いました。お花を生ける時の様子もオンラインの時とは違っていて、人と一緒だと声を出しながら楽しそうにやるのが驚きでした。

対面の良さは、今のこのリアルにおこっていることに対してすぐに対応、応答できる良さ、一緒の場で、一緒の時間を共有し実践していくことで、感じることもたくさんあったのではないかと感じます。
親子共々森先生に会えたことが何よりも嬉しかったし、有意義な思い出深い花育きょうしつとなりました。今回も元気をもらえました。ありがとうございました。

写真記録


お友達とのコミュニケーション力はある
いけるときはひとりで集中できる
好きな花で満足


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前回を踏まえた検証と考察


1 枯れた植物への興味関心を引き続き観察
>機会なし

2 新しい感性を入れてみる。会った際に、枯れたコレクションでいっしょに作品を創ってみたい。
>機会なし

3 表現力を中心に観察してみる。(言語表現・対応表現などなど)
>表現としては、よろこびとうれしさが伝わる華やかな花をダイナミックに生けていた。

印象記録

親御さんからの① どうするの? と何度か聞いたことについて
>多分、私がともくんにお会いした際に枯れたコレクションを観たい、または、それで作品を創ってもいいのでは?と提案したので、
親御さんは、気にされていたのだろうと思う。

しかしながら、何度も聞く作業をすることで、感覚の鋭いお子さんにとっては、親の意向や意思が伝わりすぎる、ということにもなるため、
力が付かなくなり、自分を消して、親の意向に沿ってしまう可能性もあるかもしれない。

たまたま、ともくんは、意思のはっきりした人のため、そこで、言葉で表現できている。逞しい。

この場合には、もってきてももってこなくても、
とくになんらかの差しさわりがあることが全くない事柄なので、
私や大人たちへの配慮は必要なく、思っていてもなにも聞かずに、あえて黙って見守ることが、親子の信頼関係を深めるためには肝要かと感じた。

親子であっても違う人なので、
産んだ時点で既に信頼関係ができているわけではなく、互いに日々構築するものと考えている。

子どもには、どうやって信頼関係を構築するか、を自分なりに教えてゆき、それができるようになったことを、称賛することで、自分自身も安心感・信頼感、が増すようになる。そして子供は自我とともに、自立へと向かうと考える。

大人ではないので、経験が少なく、世界も狭いため、周囲の身近な人との信頼関係の創り方を知れば、コミュニケーションは、手法ではなく、肌感覚で身に付く。

以上全て私見である。


現場から

ともくんの場合、
ひとりでするときと、グループでする時との差が激しい。

自分の世界観を持ちながらも、
他に共感したり、合わせたり、合わせてもらったり、というコミュニケーションをとることができているので、普段からそういう安心感のある環境なのだと感じる。

また、当たり前だが、人の目があるときとない時で変化する。
いつもよりシャキッとして、スムーズ、ひとりですべてこなす様子が見れた。


これが逆であるパターンは、かえってこころが大変であると考えている。

親御さんの前や私の前でだらっとしたりあくびをしたり駄々をこねたりせず、外やグループではそうできる、
という逆の場合、こころが元気かといえば、そうとも言えなくなる。必ずしもではないが、これも私見。

ひとりの時間は自己成長、他との時間は社会的成長、の場となる。どちらも必要ではある。


次回考察

次回はオンライン。
欠席者があり、実質的には個人レッスンになるため、
自分の感覚を思い切り出し切ってもらえるよう促してみたい。


―to be continued





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花育研究家 森直子
2003年から一万人以上の方に花育をしました。現場でどんな風に、どうしたか、結果どうか等、遺さないまま頭の中にあり、書きのこして、いつか誰かの役にたったらいいな、と思い書き始めました。サポート励みになります。活動費として使わせていただきます。よろしくお願いいたします。

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