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シロクマ文芸部¦甘さと苦さの境界線

甘いものが好きなあなたと、甘いものが苦手なわたし。食の好みが違うなんて、相性が合わないと思ってたけれど、苦い珈琲には生クリームたっぷりのケーキが合うように、もしかしたら、パズルのピースがぴったりとはまるのかもしれない……そんな期待をしていた。

初めてのデートで行った喫茶店。ショーケースの中には、艶やかに輝くケーキが並んでいた。苺のショートケーキ、濃厚なガトーショコラ、ふわふわのシフォンケーキ。カラフルなケーキを前にして、あなたは目を輝かせる。きっとあなたにしっぽがあったら、全力で振っているんだろうなってくらいに、とても微笑ましくて可愛かった。

あなたが悩む姿を見ながら、わたしはブラックコーヒーを注文する。どちらか一方だけでは物足りない。でも、苦さと甘さが重なれば、不思議とちょうどよくなる。

「一口食べてみる?」

勧められるまま、小さく切ったショートケーキを口に運ぶ。舌の上で広がる甘さに、思わず顔をしかめた。

「甘っ……」

ひどい顔だっただろうに、あなたは笑って「可愛い」なんて言ってくれるから、なんだかくすぐったい気持ちになった。

あなたに近づきたくて、わたしは甘いものを食べるようになった。最初は無理をしていたけれど、いつの間にか「美味しい」と思うようになっていた。そして気づけば、自分からケーキを選ぶ日も増えていた。

一方で、あなたもわたしのブラックコーヒーに興味を持ち始めた。初めて飲んだときは「苦っ!」と顔をしかめていたのに、今では当たり前のようにブラックを頼んでいる。

お互いに、すこしずつ影響を受けて、すこしずつお互いの色に染まっていった。

それは、幸せなことだと思っていた。思っていたのに……。

「最近、甘いものを食べても、前ほど美味しく感じなくなったんだ」

あなたは、初めて行った喫茶店で、初めてデートした時と全く同じ席でポツリと呟いた。寂しそうに湿った声で。

ああ……わたしも同じだった。ブラックコーヒーの苦さが、前ほど特別には感じられなくなっていた。

「変わっちゃったのかな」

あなたの言葉に、わたしは何も言えなかった。

変わることは、悪いことじゃないはずだった。でも、わたしたちは、違うからこそ惹かれ合ったのに……いまでは、どこに違いがあるのかわからない。

隣にいる意味が、少しずつ薄れていく気がした。目の前のあなたが、だんだんとぼやけていく。パズルのピースはぴったりとハマるものだ。でも、だからこそ、すこしでも欠けてしまったら、もうハマらなくなってしまうんだね。

あなたの好きなものを知りたくて、頑張って食べたケーキの味を思い出す。近づきたかっただけだった……でも、近づき過ぎてもダメだったのかもしれない。

もう、特別なあの頃の思い出はない。ふたりで分け合うことも、笑いながら食べることも。目の前のケーキに目を落とす。わたしは、ショートケーキとブラック珈琲。あなたは、ガトーショコラとブラック珈琲。

珈琲の湯気が、ゆらゆらと立ち上っていく。まるで行き先を失ったように。ふたりとも、ケーキに手を伸ばせないまま、ただ、外でざあざあと雨の音だけが響いていた。

終-【1274文字】


こちらの企画に参加させて頂きました✧*。

#シロクマ文芸部
#甘いもの

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紫吹はる
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