幸せの感覚と身体の安堵感を得たい
私は幸せを感じるのが怖い。
幸せの感覚や喜びの感覚が起こることが怖い。
だから幸せを感じないようにしている。
幸せを感じそうなところには近寄らないようにしている。
私の中にある認知の歪みは
幸せを感じることは危険 とても危険
非常に危険と思っている。
幸せや喜びを感じてしまいそうになると
ものすごく強い力で感覚を止めようと
抑圧している。
危険だからだ。
幸せなことが起こると
いいことがあると
無意識に回避しようとする。
幸せな出来事から逃げようとする。
幸せな出来事を通して
幸せや喜びを感じることが怖いからだ。
危険だからだ。
それほどまでに
私は幸せを感じるのが怖い。
原因はわかっている。
親だ。
私の親は
私がリラックスしている時や
嬉しそうにしている時に
必ず不機嫌になった。
ひどい時には発狂し
いつまでも怒り散らしていた。
私はそれがすごくすごく怖かった。
とても怖かった。
とても混乱した。
それが繰り返されるうちに
幸せを感じることイコール危険
幸せを感じるイコールいけないこと悪いこと
幸せを感じることイコール親に(人に)嫌われること
幸せを感じることイコール安全ではないこと
幸せを感じることイコール大変なこと
幸せを感じることイコールとても疲れること
などのネガティブな観念が山盛りになって
思い込みが出来上がったと思われる。
今書いていて気づいたけど
幸せ自体が怖いわけではなく、
幸せを感じている時に
親が発狂していたことが怖かったのだ。
幸せのせいではない。
少し解けた気がする。
幸せを感じることに関しては、
完全にPTSDになっているので
ゆっくり解いていきたい。
100%幸せを感じられないわけじゃない。
幸せを感じている時もわずかだけどある。
喜びや楽しさを感じている時も
わずかだけどある。
リラックスしている時もわずかだけどある。
それを拠り所に
幸せを安心して感じられる自分になりたい。
幸せを感じても安全なのだとわかる
身体になりたい。
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