委ねて生きるとは
1. 委ねて生きる方法
先に結論を書いておきます。
僕は、魂の声を内側と外側の2種類に分類しています。
内側の魂の声
五感
身体の感覚(ポジティブな感覚、ネガティブな感覚)
気持ちの変化(ポジティブな気分、ネガティブな気分)
ひらめき
違和感
外側の魂の声
周囲の出来事を通じたメッセージ
委ねるには、自我の声による抵抗を極力無くして、内側の魂の声と外側の魂の声を遂行することが必要なのです。
詳細の説明はこの後に色々と書いていこうと思います。
最後の方には重要なことも記載しているので、最後まで目を通していただけると幸いです。
2. 苦しみは抵抗から生まれる
何か思い通りにいかなかったり、理不尽なことに見舞われることもあったりするかと思います。
外側の出来事によって苦しみを感じることは誰にでもあることです。
ここで錯覚してしまいがちなのが、
「外側の出来事によって苦しまされた」
と思い込んでしまうことです。
実際は、
「外側の出来事に抵抗することによって苦しみが生まれた」のです、
外側の出来事が苦しみを生んだわけでもなく、
苦しいという感情が苦しみを生んだわけでもなく、
抵抗が苦しみを生んだのです。
近頃はポジティブ思考が流行っていますが、
ネガティブな感情やネガティブな思考が苦しみを生み出しているわけではありません。
抵抗が苦しみを生み出しています。
ポジティブ思考に切り替えたところで苦しみは無くなりません。なぜならネガティブ思考をポジティブ思考に切り替えることで抵抗し続けているからです。
つまり、余計な抵抗をしなければ、苦しみは生まれないのです。
たとえネガティブな感情が生まれたとしても、抵抗しなければ必要以上の苦しみは受けません。
3. 自我の声と内側の魂の声
ここである疑問が生まれます。
「余計な抵抗をするなということは、嫌な仕事が舞い込んで来ても断らずに全部受け入れろということ?」
「嫌なことややりたくないことも我慢してやれってこと?」
「起こること全部受け入れて、イエスマンになれってこと?」
これらの疑問には必ずしもそうではないと答えます。
嫌なことをやらないといけないという状況は、自分がやりたいと思っていることに反することをやらねばならない状態です。
その自分がやりたいと思っていることが「自我の声」から生まれたものなのか「魂の声」なのかによって対応が変わります。
やりたいことが自我の声であれば、自我のクセやこだわりを取るために、やりたくないことを受け入れた方が良い場合があります。
一方、やりたいことが魂の声であれば、やりたくないことをしなくていい方法を探すかやりたいことを実現できる環境へ移動する必要があります。
何を言いたいのかというと、自我の声と魂の声を見分けられるようにならないと、適切な対応ができないのです。
特に自我の声と内側の魂の声(ひらめきなど)の見分けが難しく、両者の見分けができるようになる必要があります。
そこでこの項では、自我の声と内側の魂の声の違いについて解説します。
まずは自我の声の解説をします。
自我の声
この記事で使っている自我の定義ですが、
という意味で使っています。
すなわち自我の声とは、ビリーフによる思い込みや、思考の声、感情の叫びを指し示しています。
自我の声の特徴は、主に3つあります。
特徴1:
身の回りの状況やその日の気分やメンタルに左右されやすいです。身の回りの状況に応じて考えや気持ちがコロコロ変わったり、気分やメンタルによってやりたくなったりやりたくなくなったりします。物質世界の状況の影響を受けやすいのがポイントです。
特徴2:
ビリーフ起因以外の思考や感情は、自分の意思で生み出すことができます。例えば、~が儲かるからやりたい、あいつに~されたからムカつくなど、自分で考えや感情を自分の意思で生み出すことができるのが特徴です。
ただし、ビリーフによって生まれた感情や考えの場合は、自分の意思に反して無意識に湧いてしまうことがあります。
ビリーフ起因でない限り、考えや気持ちなどを自分の意思で生み出すことができるのが、自我の声の重要なポイントです。
特徴3:
自我の声は、理由を説明できる場合がほとんどです。例えば、「〜をやりたい」という気持ちを抱いた時に、なぜやりたいのか?自分に問うた時に、「流行っているから」「お金が稼げそうだから」「今までそうしてきたから」と理由を説明できる場合は、自我の声である可能性が極めて高いです。
内側の魂の声
魂の声の中でも、自分の身体や内面を通じてメッセージを伝えようとするものは内側の魂の声と呼んでいます。
記事の冒頭にも記載しましたが、内側の魂の声は以下の5つに分類されます。
五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)
身体の感覚(ポジティブな感覚、ネガティブな感覚)
気持ちの変化(ポジティブな気分、ネガティブな気分)
ひらめき
違和感
上記5つを使って自分にメッセージを届けるのが内側の魂の声です。
内側の魂の声の特徴は主に5つあります。
特徴1:
物質世界や身の回りの状況がどうであれ、外側状況に左右されたり変わったりすることがありません。魂の声は、物質世界の外側の影響を受けません。また自分のメンタルや気分の影響も受けづらいです。身の回りの状況が〜だから、〜したいと周りの状況に合わせてコロコロと移ろっていくものではありません。
特徴2:
今、自分が置かれている状況や常識に関係なく主張してきます。魂の声は、一見、突拍子もないことや常識外れのぶっ飛んだことを言っているように見えます。自我の声は周りの現状を配慮した現実的な声ですが、魂の声は物質世界の事情なんてお構いなしの正直な気持ちをぶつけてきます。
例えば、仕事を辞めたい、未経験の分野にチャレンジしたいなど、現状を脱して自分が怖いと感じることをさせようとする傾向にあります。
特徴3:
魂の声は自分の意思で生み出すことができません。自分の意思で生み出すことができず、コントロール外のところから突然やって来ます。そのため、魂の声は、自我の自分から見て、魅力的に見えない場合もあります。
自我の声のように周りの現状を見て自らの意思でやりたいという気持ちを生み出すのではなく、自分の意思とは関係なく、ある時突然降って来るという特徴があります。
特徴4:
思考や感情より魂の声の方が弱いため、思考や感情にかき消されやすいです。魂の声は囁き声のように微弱なため、気のせいだと勘違いされやすいです。
特徴5:
魂の声はなぜそれをやるのか理由を説明することができません。直感やひらめきのような形で突然湧いてくるので、理由が付随して来ないのです。なぜやるのか理由を説明できないので、理屈を重視する現代社会では軽視されがちです。
以上の違いがあります。
「自我の声」と「内側の魂の声」の特に重要な違いは、
自分の意思で生み出せるか生み出せないか、
周りの状況に合わせてコロコロ変わるか変わらないか
の2点です。
内側の魂の声は、自分の意思で生み出せないし、周りの状況を全く考慮せずに、ブレない一貫した主張が降って来ます。
そのため、自分でどうにかして思い通りにコントロールしようとする欲が強いと、魂の声は排除すべき不純物に見えてしまいやすいです。
だからこそ、内側の魂の声を汲み取るために、自我の声による抵抗を極力薄くしていくことが重要なのです。
4. 外側の魂の声
冒頭で魂の声には、内側と外側の2種類あると記載しました。まだ外側の魂の声について触れていなかったので、ここで解説します。
魂の声は、五感や身体の感覚やひらめきといった自身の肉体を使ったアプローチの他に、周りの出来事を通じてメッセージを送るという手法があります。
外側の出来事を通じてメッセージを送ってくる現象を外側の魂の声と呼んでいます。
例えば、魂は、物質世界で過ごす自分に「アプリを開発するエンジニアになってほしい」というメッセージを送りたいとします。
物質世界の自分がたまたま本屋に立ち寄ったとします。すると書店のコーナーに今話題の「ChatGPT」の本が目に入り、少し気になりました。こういった最新技術に少し興味を持ったので、理学の本棚に立ち寄ることにしました。すると、「ITエンジニアになるためには」という本を見かけ、興味が湧いたので手に取りました。その本を立ち読みしたことで、エンジニアと言えどもいろんな職種があることを知りました。中でも、アプリ開発が面白そうだと感じ、「アプリ開発ができるのであれば、やってみたいかもしれない」と思うようになりました。
このように、本という媒体を通じて、「アプリを開発するエンジニアになりなさい」というメッセージを送っています。
ひらめきなどでダイレクトに伝えるのではなく、周りにある出来事やモノを使って必要なメッセージを送る場合もあるのです。
周りで起こる様々な出来事の中から、外側の魂の声を見分けるポイントは、外側の出来事をみたときに、内面にポジティブorネガティブな変化があれば、外側の魂の声である可能性が高いです。
先ほどの例だと、「ChatGPT」の本を見て少し気になるとか、「ITエンジニアになるためには」の本を読んで「アプリ開発ができるのであれば、やってみたいかもしれない」と思えたなどの内面のポジティブな変化があるので、外側の魂の声だと判別できます。
外側の出来事を見て、内面にポジティブな変化を感じられた場合、GOサインになります。
逆に、外側の出来事を見て内面のネガティブな変化がある場合も、外側の魂の声だと判別できます。例えば、友達からバーベキューに誘われた時に、胸がキュッと締め付ける感覚があるといった場合です。
外側の出来事を見て、内面にネガティブな変化を感じられた場合、NGサインになります。
先ほどの例だとバーベキューに誘われて、胸が締め付けられるというネガティブな反応があった場合は断るべきです。この魂の声を無視してバーベキューに行くと、怪しいネットワークビジネスの勧誘や投資の勧誘に逢うなど本人にとってマイナスな出来事が起こる可能性が非常に高いです。
まとめると、外側の出来事を見た時に、内面にポジティブもしくはネガティブな反応があると、その出来事は外側の魂の声である可能性が高いです。
なぜ可能性が高いという表現をしているのかというと、そのポジティブもしくはネガティブな反応が、ただの普通の感情反応の場合もありますし(ホラー映画を見て怖いと感じるなど)、ビリーフによって生まれた反応である場合もあります。
外側の魂の声を見分けるには訓練が必要です。オススメの訓練として、過去に上手くいった経験や選択をしくじった経験から、自分特有のOKサイン感覚やNGサイン感覚を覚えておくと良いでしょう。例えば、「以前にも身体中に活力がみなぎる感覚を感じて、この感覚のOKサイン通りにやってみたら上手くいったから、似たような活力がみなぎる感覚が起きたらやってみよう」と経験値を積んでいく必要があります。
ただ1つ言えるのは、外側の魂の声には内面のポジティブもしくはネガティブな反応を伴うということです。
5. 委ねるという名の思考停止
委ねるという言葉を使うと、「私は何もしません。どうぞ好きにしてください。」という意味に受け取る方もいるかもしれません。
ハッキリ申し上げますが、これは思考停止です。
スピリチュアル界では、宇宙の流れに委ねましょうという考え方があります。
その考え方自体は賛同しますが、宇宙の流れに任せっきりで、自分が今やりたいことに目を向けることを放棄していては何も変わりません。
「委ねる=自分のコントロールを手放すこと」には間違いないのですが、「私は何もやらなくて大丈夫」というわけではありません。
宇宙に委ねると言いつつも、本人が行動を起こしていないので、何も変わっていません。
冒頭の繰り返しになりますが、
委ねるとは、自我の声による抵抗をなるべく0にして、魂の声をそのまま遂行することです。
自我の声は相手にしなくていいです。
魂の声の遂行に全力を尽くしてください。
魂のやりたいことができない環境であれば、できる環境に移動しましょう。
どうやってやればいいのかわからないのであれば、既に技術がある人にどうやって習得すればいいか聞いてみてください。
魂がやりたいことを妨げられたら、戦ってみてもいいですし、逃げてみてもいいです。
今、魂がやりたいことをやってこそ、宇宙の流れが発動します。
6. 全部オッケーという名の自己批判
委ねるから少しズレるかもしれませんが、全部オッケーという考え方についても少し触れましょう。
「起こることが全部オッケーだから、起こることにオッケーして委ねていきましょう」という意見があります。
起こることは全部オッケーなのは間違いないです。
しかしこの考え方は危険な要素を含んでいます。
例えば、上司から自分をバカにされたとします。
これを起こることは全部オッケーという考えに当てはめて、
「上司からバカにされてもオッケー」という考えを抱いたとします。
この考えは、他人から自分をバカにされることを許可しています。
つまり、自分が自分をバカにしていることと同義になります。
自分で自分を批判していることと同じなのです。
起こることに全部オッケーして、起こる出来事に委ねていこうとする試み自体は否定しませんが、
起こることが全部オッケーという考えは、自分自身を批判することにつながる可能性があるのです。
7. 自分を大切にするために抵抗は必要
これまで自我の声による抵抗を極力薄くしていきましょうと記載してきましたが、
自分自身や魂の声を大切にするために抵抗は必要です。
「全部オッケーという名の自己批判」という項で挙げた、上司にバカにされた例についてですが、
上司にバカにされたとしたら、
「そんな言い方しないでください」と嫌だということを伝えましょう。
「いや、さっき自我の声の抵抗をなるべく0にしなさいと言ったじゃないか!」と思った人もいるかもしれませんが、
自分がバカにされているのです!自分を大切に思っているのなら、抵抗して当然です!「なるべく0にする」と言ったのは、こういった受け入れ難いケースがある場合は抵抗する必要があるからです。
何回も上司にやめろと伝えても、まだバカにしてくるようなら、
上司の上に報告してやめさせる
人事に報告して態度を改めさせるように頼む
上司にキレる
のような対策をしっかり取ることが大切です。
自分をバカにされることを受け入れてしまうと、「自分はバカにされてもいい存在だ」というビリーフが出来上がってしまいます。
この物質世界はビリーフに沿った出来事が起こるように設計されています。
「自分はバカにされてもいい存在だ」というビリーフがあると、出会う人にバカにされる機会が多くなります。
起こることは全部オッケーという考えのもと、自分をバカにすることを許してしまうと、上司以外の他人もこぞって自分をバカにし始めるのです。
自分は大切にしてください。
あなたはそんな雑に扱われていい存在なはずがありません。
何よりもまず自分を大切にする行動をしてください。
ビリーフに沿った出来事が起こることの解説は以下の記事の冒頭部分をご覧ください。
「いや、いくら自分を大切にするとはいえ、キレるのは良くない!」「怒るのはまずいよ!」と思う人もいると思います。
何回もやめてくれてと伝えても改善しない場合、思い切り相手に怒ることも大切だと思っています。
「いや、でも、怒ると相手からの印象も悪いし、会社でキレると評価が落ちるし…..」
ひどい場合は、怒ることも必要です!怒ってもいいんです!
自分は大切にしてください。
仲良しを重視しすぎるあまり、自分をバカにする行為を許している人が多すぎます。
委ねるという名目で、全部オッケーという名目で、自己批判を簡単に許容しないでください!
自分をないがしろにされたり、自分の大切にしている価値観や考え方をバカにされたりしたら、抵抗しても良いのです!
そもそも今の日本人は大人しすぎだと思います。ハッキリ申し上げて、今の日本人は不気味なほど従順すぎます。
委ねて生きる方法を伝える記事ではありますが、大人しすぎる現代日本人だからこそ、自分を大切にするために、抵抗することを伝えたいのです。
自我の声による抵抗をなるべく減らしていきましょうとだけ伝えるだけでなく、自分を大切に想うからこそ抵抗も必要だとこの項でお伝えします。
バカにされたら全部やり返せと言いたいわけではありません。
バカにされても気にせすに受け流すことも大切です。真に受けて怒ったり反抗すると労力と時間をかけてしまうので、バカにしてきても相手にせずに受け流す選択の方が利口です。
しかし、
自分を大切にしていて、反論しようと思えば反論もできるし、気にしないこともできる、両方選択できるけどあえて気にしない選択をすることと、
相手に抵抗することができずに、自分はバカにされてもいいと受け入れてしまったことでバカにされることに慣れてしまい、気にしなくなったことは、
全くもって違います!!
この2つのケースは、表面上は「気にしない」という同じ選択をしているように見えますが、根本が全く違います。
前者は、バカにされて「やめろ」と伝えて抵抗することができます。ひどい扱いをされると怒ることができます。怒ることもできますが、気にしないという選択もできる器の大きさも持ち合わせています。つまり、前者には選択の自由があります。選択の自由がある上で、抵抗しないという選択をしたのです。
しかし後者には、バカにされても「やめろ」と言う勇気がありません。つまり、後者は選択の自由がないのです。抵抗するという選択肢がありません。自分の意見を主張するという選択肢がありません。相手の言われるがまま、相手のされるがままという選択肢だけがある状態です。
もし後者の人が、この記事を読んで、自我の声による抵抗をなるべく減らそうとすると、自我の声だけでなく、魂の声や自分の本当の気持ちまでもすり減らそうとするでしょう。
なぜなら、後者は「自分はバカにされてもいい、自分の価値観や自分の存在は雑に扱われても良い」という思い込みの元で生きているので、自分の気持ちよりも、周りの人の気持ちを優先してしまうからです。
生きていれば、「自分の意見や気持ち」と「周りの人の意見や気持ち」を天秤にかけるシーンに出くわします。
時には、魂の声を遂行するために、周りの人の意見を押し切って、自分の意見を主張する必要がある場合もあるでしょう。そんな場面に後者が出くわしたら、委ねて生きるという大義名分を使って、自分の意見は抑え込んでしまいます。魂の声を抑えていては、もはや委ねて生きていません。
自分の意見を抑え込むことを正当化するために委ねて生きる手法を使っているだけです。
つまり、自分自身や魂の声を大切にするために抵抗することができるから、委ねて生きることができるのです。
魂の声は、周りの反対があっても遂行することが必要なのです。魂の声と同様に、自分自身を大切にするために抵抗することは必要なのです。
魂の声や自分を抑えることを正当化するために「委ねて生きてる風」になってはいけません。
自分自身や魂の声を大切にするために抵抗できることで、初めて選択の自由が生まれ、自分の意思で「委ねて生きる」選択ができるのです。
委ねて生きるためには、抵抗が必要であり、抵抗を外すことも必要なのです。