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お金は、ツナグもの。

「心の底から、"やりたい!"というものに、出会えていないんじゃない?」

ズドン、と私の中に響いた。

私は、好きなことをするために、お金を使ってきたんじゃないの?

その対価を払ってきたんじゃないの?

でも、その得た知見・経験で、

"富を生み出す感覚"になれないのは、
「本当にやりたいこと」じゃない、
から……??

──そんな。
私なりには、「好きなこと」に時間とお金を費やして来たように思ってきた。

事実、次々と、手を出してきたものは、
楽しかった。心が躍った。
自分が喜んでいるのが、分かった。

でも、改めて問われると、
心に、波風が立つ。


「情熱を傾け、本当に私、ここに捧げたいわと思えるか?」

「本当にやりたいことをやったら、自然にお金が入ってくるもの」

「これで、人々を助けていくんだ!に出会えていないのでは」

「"以前と比べたら"、大分思えている。でも、"本当に"やりたいか?」

「前よりはイイ感じ、で満足していないか?」


問われると、
揺らぐ、揺らぐ──。

確信ができていない、証拠だ。


確かに、私は、
自分自身に、
『お金、富が次々と入ってくるイメージ』が、できない。

──それは、なぜか?

定額の月給が少ないから?

複業が出来ていないから?

お金の管理を他者任せにしていたから?

そんな自分の仮説を、

いとも簡単に180℃回転させたところから降ってきた、
問いであった。


私は──、

碇を下ろさず、
波間を漂っている。

流れには乗れていても、
揺られているだけなんだ。

この方──soraさん──に問われるまで、わからずにいた。

なぜ、「自分が楽しむ」から、
「貢献する」に動けないのか、
動きが止まるのか、
わからなかった。
いや、わかろうとしなかった──。

本質的なところで、楽しんでいない。
心の底から、楽しんでいない。
ワクワクしていない。
"周りから求められるなら、やってもいい。"と
流されている。
本質的な自分で決められていない。

【妥協】──だ。
殻に閉じこもっている。

こんな私が、
『大きな流れを産んでいく』

その生き方を、選べないハズ、だ。


責任を、自分ではなく、
他者に押し付けようとしている。

自分の人生なのに。

自分が、人生の創造主であるハズなのに。

もっともっと、
心の奥底に、
本当の成し遂げたいことが、
実在するハズなのに。

海底火山のような、
カンブリア紀の生命の大爆発にも似た、
吹き出る熱い情熱を、

私は、その有るハズのものを、
ずっと、"無きもの"にした。

"無いこと"、ましてや、"有ること"すら、意識に昇らないほどに。


私は、
生命の源、"海"に背を向けている。
うずくまり、膝を抱え、
シーンとして、目を瞑っている。

息をせず、
自ら生きることをやめようと
口を閉じ続ける貝のように──。


「心の底から、楽しんでいない」

そんな自分を目の当たりにするなんて、
思ってもいなかった。

最近は、
お料理教室にも通い始め、

子育ての学びを加速させ、

心理学の理解を深め、

丁寧に生きることを心がけ始めたところであった。

やりたいと思ったことは、
惜しみなく【自己投資】をしてきた。

部屋には生花を飾り、

母や祖母には、手作りの栗の甘露煮を

食べてもらい、

自分の行動が、周りを明るくできていることを
喜んでいるところであった。

一つ一つには、
ときめきを感じ、
楽しさを感じ、
幸せを感じていた。

──「これでも、まだ、
   "最高"の幸せではない……と?」


私は、
私が感じうる『最高の未来』を

なぜ自分が描けないのか?
(描けていないことにも気付かないのか?)

なぜ自分で、自分のことが分からないのか?

それが、分からなかった。

"自分のこと" なのに。

自分に濃い靄がかかっているようで、気持ちが悪い。

まるで、背中にかゆいところがあり、
手を伸ばしてかきむしっているのに、
全然見当も違う場所で、むしろ痒さと苛立ちが際立ってくるような、

そんな変な違和感と、むず痒さ、嫌悪感が

私を、包んだ──。


私は、『お金のブロック』の有無の前に、
『自分自身を、疑っていた』のだ。


私の、【本当にやりたいこと】って何だろう……。


私は、口を開いた──。

セッションしてくださっているsoraさんには、
全てを見透かされると思った。
見透かしてくれ、この気持ち悪さの原因を炙り出してくれ、とさえ思った。

「実は私……。様々なことを学んできました。
子育て、心理学、潜在意識。
そして、最近やりたいと思ってやっているのは、小説・漫画などの創作。
その中でも、この6月に、あるビジョンが見えたのです。
それが、"私の書いた小説が、映画化される"というビジョンです。
でも……。私、これまで小説なんて書いたことがないし、格段、自分が小説に興味をもっているなんて、思ってもみませんでした。
それが、突然、"表現しなくては居ても立っても居られない"、そんなある種の苦しさに見舞われました。
そして、1週間で、処女作となる小説を書き上げたのです。
稚拙なのはわかっています。だからこそ、いま、その小説を改稿するために、ある方のご協力の下、また学んでいます。

他の人に、あなたの夢は?と問われると、
"小説の映画化"と口にするようになりました。しかし、そのことについて、"まあ、小説のこともよくわかっていない、私なんかが……"と、否定するような言葉を自分で口にする度、涙が溢れそうになるんです。
なぜか分からないけれど……。」

soraさんは、ここまで聞いて、私に言葉をくれた。

「初めてだったんですね。
はじめての私。無意識ちゃん、私、やり始めたよ。頑張ってるよ。今のこの時代だからこそ、失敗は失敗ではない。自由な物書きとして、やっていけるんだよ、と声をかけてあげてくださいね。
キーワードは、『妥協しない』。本当にやりたいことなら!閉じこもってる場合じゃなくなるものをやるの。誰に命じられる訳じゃないのにやってしまうことを。
それに、素直に、拓いていくの。
そこに、金脈がある。」

soraさんは、私に、『内なる男女』について説明をしてくれた。
誰でも、その人の中に、『男性性』と、『女性性』が存在するという。
そして、【愛のある】方が、稼ぐ力があるという。

思い返せば、私は、【教員】として、愛が育っていない状態で稼ごうとしていた。
自分にエネルギーがないのに、四六時中、家に帰ってさえ、いや、通勤の車の中、家のテレビを見ている時間でさえ、思考は、私以外の何者かに支配されていた。
洗濯かご一杯に持ち帰ってきた生徒のノート。添削、コメント、評価、そして新たに明日の授業の内容を考える。何か良い教材はないか、と夜中のNHK Eテレを流し見する。
頭の中では、その日叱った生徒の顔がチラつく。私の放った言葉、返ってきた反抗的な態度がリフレインする──。
明日は、何と言おうか。

このように、
私は「過去」と「未来」を、行き来しているばかりで、心ここにあらず、を体現していた。

「子ども達のために」と、自分のプライベートを犠牲にして、必死に、何かを生み出そうとしていた。

しかし、結局は、
自分が干乾びてしまったのだった。

それが、
最近では、「料理」や、「女性らしいファッション」、「花」、「環境整美」などに意識が向くようになった。
「人との出会い」や、「雑談」、「子育て」、「コミュニケーション」を、楽しめるようになった。

がむしゃらに、死に物狂いで働いていた【男性性】が、ちょっと休憩、と休みに入り、
私の中の【女性性】が、前に出てきたのだった。

いや、"【女性性】が前に出なさい"、と私の中の無意識ちゃんが指示したのかもしれない。

この、【女性性】が、
〈愛を〉表現したい
世にもたらしたい
と、顔を出してきたのだ。

私は、【愛をテーマとした作品】を生み出したい。
私の小説を元にした映画。
映画館で皆が感化され、泣いている。

私の作品に触れた方々から、
「ありがとう。貴方に、貴方の作品に出会えてよかった。」
そんなメッセージを貰う。

よかった、私は、皆の幸せに寄与できたんだ。
光の世界に来れた。

──この、未来。
そう、これが。
私が、イメージした、最高の未来。


私にとって、「愛」を語ることは、とてもとても意味が深いことで。

私は、
幼少期、人を疑って生きていた。
否定されることを恐れていた。
チャレンジしないこと、欲を出さないことで、自分を守っていた。
"大人しくて、いい子"という言葉を握りしめていた。 
ずっとずっと、自分を表現できなくて。
自分は、「こんなものだ」と枠にはめて。
自分を小さく小さく見積もって。
リスクを背負ってこなかった。

自分に落胆しないように、
"何かができる"自分でありつづける為に。
"何もしない"ことを、選んできた。

無我夢中で、
ひたすらに、がむしゃらに、夢を追う、
そんな生き方をしてこなかった。

要領のいいフリをしていた。

いつかの、学生時代。
部活動のコーチとの会話が蘇る。
「私なりには頑張ったつもりなんですけど……」
「いや、お前は、もっと出来たと思うよ」

他の人から、どんなに良い評価や、期待の眼差しを向けられていたとしても、
私が一番、私を認めていなかった。
受け取れていなかった。


【愛】を、知らなかった──。
【愛】を、見つけようとしなかった──。
自分なんかは、【愛される存在ではない】、
そう感じていた──。


そんな私が、
【愛】をテーマとした作品を生み出すなんて、
あの頃の私──「愛ってなんだ?」──とも思わなかった私が、
【愛】を探究することになるなんて。
【愛】を表現し、誰かに届けたい、と思うだなんて。

私が一番、思いもしなかった。

その、思いもしなかった"未来"だった道を
今、歩んでいる。


今まで、経験してきたことは、
全て、【愛】を知るための、【伏線】だったんだ。

つらかったことも。
楽しかったことも。
やってみたいと行動したことも。
本当に、やりたいことではなかったことも。

全てがツナがっていたことを、理解した──。

人間不信、自分不信だった私が、
様々な人の愛に触れ、
自分の人生の中の愛を掘り起こし、
自分自身への愛を実践している、
今。

【愛】がわかってきた私。
本当の願いが、顔を出し始めている。

私の無意識ちゃんは、
「もう、欲しいものは受け取った」で、止まっていた。

『"自分"が、これ以上の可能性を
 自分で否定するようなら、もう、知らない』
と。
浩大な海に、背を向けていたのだ。


──けれど、もう、分かった。
私の本当の願いは、
自分の核(コア)にツナがって、そこから発信していくこと。
私の中の湧き出るものを。 
そして、私の人生をかけて、この世の美しさを証明する。


【私は、私のやりたいことを、やる!】



私の、本当にやりたいことにフォーカスしたら、
もう後は簡単なように思えてきた。


【お金がないから】、
そんな理由ではクリアできない、
本当の私の願い、本願を、
知ってしまったからには。

──しかし、
ちなみに、ということで、
私の『お金のブロック』を挙げておこう。

△お金を払う時、仕方なく支払っている

△感謝で払う時も、形だけのものとなっている

△(感謝や応援のつもりで)使う時、一部だけの思いとなっている。(本当は、気持ちよく想いを込めて使えたらいい。)

△お金が入ってくる未来の流れを諦めている

△自分のもとにお客さんがやってくるイメージがもてていない。(本当は、ひっきりなしに来てくれるイメージがあるといい) 

△お金以外の富を受けとることに抵抗感がある。「大丈夫です」と遠慮している。(相手の善意。ポジティブにありがとうと受け取るといい)

△富を受け取るのが難しいと思っている

△自分自身の能力を生かしきらずにセーブしている

△損得勘定で払っている。大きくなって返ってくるとわかっている。(愛をもって支払うといい)

△自分自身が豊かさを創造する人というイメージもてていない(可能性を広げる選択肢を選ぶといい)

△外からの影響から守る傾向(自分の内の豊かさを外へ出していくといい)

△今の生活のやりくりにフォーカスしている(富を生み出すことに、天命にフォーカスすると、サポートが入ってくる。目の前の人の人生に寄与することで、後押しがある。)

──どれも、当てはまる。
しかし、気をつける方向性も示してもらえると、とっても有り難い。

しかしながら、こんなにブロックがあるの……?
と気持ちがめげそうになる私を、この言葉が救ってくれた。

◯お金の計算が、割とできている。
 必要とする金額も理解できている。

◯必要な、タイミングで必要な時にやってくるとわかっている(信頼)

◯支出よりも多くの収入を得ている感覚がある

◯過去のネガティブな印象を払拭できている

◯お金に執着していない

◯お金に支配されていない


ここを聴くと、
私のお父さんの言葉が蘇る。

「大丈夫だよ、『ある』んだから。」

優しく微笑む貴方の血が、
私の中に、流れている──。






私は、
"絶対、ムリじゃん……!"
を超えて、
"本当に生きたかった人生"へ、シフトする。

今までの生き方ではない、
自由の、道へ。


そう、これまでも、一つ一つには、
着実に"コミット"してきたのだ。

自分が、自分自身の大切なモノに
気付くための道筋に。

お金は、
私に、経験をさせてくれた。

お金は、
私に、出会いを与えてくれた。

お金は、
私に、「夢を抱かせ」、
「夢の実現」へと、
ツナイダ。

「お金儲けが夢」でもなく、

「お金で夢を買う」ことでもなく

【ありたい私自身】へとツナイデくれた。



コツコツと、
自分の器を、浩く、深く、育てていこう。

そう、歩みは遅くとも、
着実に。


私自身の、一番の応援者は、
「自分」だ。

自分への応援は、
自分への、【愛】だ。

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taka✢3児ママ・いろんな愛の形
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