料理は、魔法
料理は、【魔法】だ。
好きなものを、
皆さんの叡智が詰まっているレシピを見ながら、
つくれる。
そして、
食べてくれる家族の笑顔を、
つくれる。
私の心の温もりが、
つくられる。
料理は、
この上なく、多くの人に喜びを与える、
【魔法】だ。
◇
つい、数ヶ月前までは、
私は、料理が苦手だった。
そう思っていた。
──「得意料理は?」
そう聞かれるのが怖いほど。
だって、料理名を挙げられるのなんて、たかが知れているから……。
真っ先に浮かぶのは、「カレー」。
もう、好きな給食ランキングと混同してしまっているのではないかというくらい、
頭に浮かぶ料理名は、皆が大好きで、絶対に失敗しようもない、保障されたもの。
子どもたちの喜ぶ顔、自分の納得感も相まって、私の中の不動の1位を、陣取っていたはずであった。
週に一回、「カレー」をつくる。
それは、メリットだらけなコト。
私にとって、献立を考えなくてもよい、材料は常備野菜、手軽にできる、そして、子どもたちにとっても最高の料理。
両者Win-Winでしかない、1つの定石。
◇
ある日のこと。
──あれ?
カラカラカラと台所の引き出しを開け、乾麺を取ろうとした時。その脇にバーモンドカレーの箱が3個、綺麗に並んでいた。
これ、最後に買ったの、いつだっけ。
最近、カレーを作ってなかったんだろうか?
最後にカレーを作った時が、曖昧で。3週間は確実に空いている気がする。
このところ、
「もう、今日はカレーにしよ」と、少しばかり投げやりになったり、「カレー」をつくる日だあ、一息つけるわあ、とホッと安堵したりする感情を感じていない。
そもそも、子どもたちが、「カレー食べたい」と求めてこない。
夫くんが、「またカレーなの?」とつくため息を聞いていない。
なんだ?
私の人生に──何が起こった?
──そうだ。たくさん、起こった。
そして、それがあって、私は。
いま。
いまだからこそ、
"料理が、楽しい"。
なんとなく、すぅーっと息を吸い、そして、ふぅーっと口から吐く。
薄くかかっていた靄がはれ、私の中から、声が聴こえる。
「それはね、"父さん"から、もらったものだよ」
◇
実家に帰ると、いつも私は、玄関のチャイムをぶっきらぼうに、ビンビンと早く2回押した。
宅配業者でも、近所の人でもない、「私だよ。あなたの娘だよ」の合図だったのだ。
ガチャッ。
玄関のドアが開いて、「なんだあ?」と低く落ち着いたトーンの声が聴こえる。私の父さんだ。静かに押せよおと言われながら、それには応えず、
「なにやってたのー?」
と、ズカズカと玄関から入り、父さんがいつも座ってテレビを見ているリビングへ。
ドカッと背もたれのついた椅子に腰掛けて、父さんがつまみとして食べていた、ティッシュの上に広げられた柿の種を拾い上げ、ポイポイっと口へと運ぶ。
「手ぇ洗ってから食えよお」声が聞こえるが、はいよーと空返事。
テーブルの上や、テレビ台の上に置かれた、小さいブロックで出来た置物を手に取り、肘をつきながら、前のめりに眺める。
「これ、父さんつくったのー?すごいね。龍じゃん。」
父さんは昔から几帳面で、手先が器用で、何でも作れる人であった。最近では、私の娘に、ディズニーキャラの指人形を作ってくれた。
どこかに習いに行くわけでもなく、本を買って、材料を集めて、そうして自分で研究しながら、何でも作ってしまうのだ。
料理もそう。カカア天下のうちの家は、なぜか父さんが料理をしてくれていた。お母さんは、結婚前まで料理をほぼしたことがなかったため、1週間で音を上げ、包丁を置いたらしい。
お母さんに代わって、父さんが包丁をとり、作り始めた、とのことだ。この思い出話を聞くたび、「だってしょうねぇからさあ」と父さんは苦笑いしていた。
そのため、私は結婚式の時、よくある「花嫁の手紙」で、こう読んだ。
「お父さんは、いつも美味しい料理をつくってくれて……」
「お母さんは、部活の応援で、いつも気合を入れてくれて……」
これは、我が家独特の、1つのネタとして、知人によく話している。
こうした、男女の役割というものが固定化されておらず、むしろ常識とされていた定石から逆転していた我が家は、ある意味「先駆け」だったのかもしれない。
「なんか食ってくか?もうすぐおかずできるから」
「んー、今日は何?」
「マカロニサラダ、鶏の唐揚げ。子供らにも持ってったら」
「うん、ありがと」
こうして、私は、なんの連絡もせずふらっと実家に立ち寄って、軽々と、とっても美味しい夕食をゲットしていた。
お世辞抜きで、父さんの料理は、全部、美味しいのだ。
モヤシなんて、芽と根を全て取り払って使うほどの、凝りよう。前に手伝った事があるが、一袋終わるまでに10分以上かかる。
初めて一緒にモヤシの根取り作業をした時は、その面倒くささから、
よくもまあ、私はやらないなと心で思いながら、ぷちぷちと千切ったものだ。
父さんは、「この方が、美味しいから」そういって、手を進めていた。
こんなふうに。手間暇かけて丁寧につくってくれる父さん料理が、美味しくないはずがない。
私は、父さんの優しさに、存分に甘えていた。
そんな日々が、いつでも"ある"、いつまでも続く。
そう思っていた……いや、思いもせず、当たり前のように過ごしていた。
いつでも、「しょうがねえなあ」と
受けとめてくれる父さんの笑顔と優しい声が聞けると。
でも、
突然、それは打ち砕かれた。
6月、父さんはこの世を去った──。
急なことで。気持ちが付いていかなくて。
毎日毎日、台所に立ちながら、胸の痛みで、心の位置を知り、込み上げ溢れ出てきた大粒の雫を拭うような、そんな日々であった。
◇
父さんが亡くなって数日後。
ある夢を見た。
私は、台所に立ち、
ハンバーグをつくろうとしていた。
「できないよ〜」そう言って弱音を吐いたら、
「しょうがねえなあ」いつものあの父さんの笑顔で、助けてくれた。
そうして、私が、父さんの手を握って、
「私、こっちで頑張るからね」と、涙を止めどなく溢れさせながら、伝えた。
父さんは、「【想い】だよ、【想い】」と言っていた。
そんな夢。
私は、目が覚めてから、枕がじっとりと濡れていることに気づいた。
胸の苦しさが、まだ残っている。
ああ、父さんは、私を見守ってくれているんだね。そして、私は、父さんに伝えられたんだね……。
この夢で、わかったことがある。
父さんの言っていた、【想い】、について。
父さんは、所作が丁寧で。
1つ1つの料理には、丁寧に、【想い】を込めていたんだということを。ただの作業でも、苦行でも、なかったんだ。
そこには、家族に対しての、【想い】があった。
だから、美味しかったんだ。父さんの料理って。
ウインナーを切ると、すぐ連なってしまうような大雑把な私は、いつも父さんに「丁寧に、慎重に」と言われてきた。だけど、笑ってごまかして。聞こえないふりをしてきた。
そこに、本意があることに、気づかなかった──。
その夢を見た後の、
息子のお弁当日。
以前の私なら、「早起きしなきゃいけないの、キツイな」と、お弁当日を敬遠していた。
だが、この日、フライパンで卵焼きを巻いていると、ふと思った。
「お弁当をつくれること、って幸せだったんだ……。」
フッと温かな光が私を包む感覚があった。
父さんは、「美味しく食べて、がんばれるように」と、私達に料理を作ってくれていたに違いない。
絶対に、「面倒くさい、つらい、やらなきゃ」なんて想いで作っていない。
「誰かのために作れること」、それを、自分の悦びとして、作ってくれていたんだ。
それが、父さんの愛だったんだ──。
「誰かのために、料理をつくれること」って、子どもたちや夫や、「誰か」がいてくれるから、出来ることだったんだ。
本当は、「料理をつくれる」ことって、幸せで、喜び溢れることだったんだ──。
私は、この時、初めて
心の底から、
「お弁当を作らせてくれて、ありがとう」
そう想いながら、料理をした。
頬に伝う、温かな涙が、
父さんの気持ちと一体化したことを教えてくれた。
◇
私は、ある料理教室に、父さんが亡くなる一ヶ月前から通い始めていた。
月に一回、発酵食品や旬の食べ物を使って実施される料理教室だ。
5月に初めて先生宅に伺い、メンバーの皆さんと顔合わせをして、料理をした時。
私は、野菜の切り方もちゃんと出来ていないのかもしれない……。皆さんに迷惑をかけてしまうかもしれない……。出来なくて恥ずかしい……。
そういった、自分の「出来ない」にフォーカスし、とても緊張していた。
しかし、
父さんと別れた後、1回お休みをしてから、参加をすると、明らかに見える景色と感覚が、「変わった」──。
例えば、「塩少々は、指3本」。これが、塩の分量を計り取るだけでなく、「塩のミネラル分も、味も、存分に活かせますように」の想いが込められていることを、体感した。
他にも、下準備、材料の炒め方、順番にとどまらず、盛り付けの食器、コップの下に引くコースター、箸置き、に至るまで。
全てが丁寧で、計算されていて。そこに想いがこもっていることに驚いた。
丁寧に、丁寧に。
早さや効率を追い求めるだけでは、決して得られない、丁寧さの中の想い、想いの具現化、それを受け取った皆の笑顔、私の心の躍動──。
それを感じられた。
旬の野菜の柔らかな甘み、スパイシーな香り、鮮やかな色彩、様々な歯ごたえ。
この料理ができるまでの工程。先生が試行錯誤して、叡智として渡してくれるレシピ。野菜やお肉、お米を生み出してくれた生産者の想い。
自然の風、太陽の恵み。
一口噛み締める度、
この【想い】のこもった料理で、
私の心が、たしかに、たしかに、
喜んでいる。元気になっている。
【想い】は、届くんだ。
料理で、届けられるんだ。
料理は、人を幸せに、笑顔にするんだ。
だから、飲食店は大変と聞くけれど、きっとお店の人たちはそれ以上のことを知ってるから、"大変"じゃなくなるんだ。
私の中に、【料理】は、【想い】でするもの、
と印字された。
◇
9月、お母さんが、私の家に来て、栗を渡した。
「職場の人にもらった。この前つくってくれた甘露煮、美味かったからさあ。」
以前、料理教室で作った「栗の甘露煮」を、少しお母さんに食べてもらったところ、えらく気に入ったようで。
お母さん形(なり)の、遠回しなリクエスト。
不器用だなあ。"作って"って言えばいいのに。そう心で笑いながらも、ちょっと嬉しかった。
そうして、私は、「栗の甘露煮」を、先生からいただいたレシピを元に、ひとりで作ってみた。
栗を水で浸し、お湯で茹で、暑い内に果物ナイフで剥いた。
それを、てんさい糖とみりんで落し蓋をしながら煮込み、蜂蜜と醤油をたらして和風に仕上げる。
1つ1つを丁寧に、
【想い】を、込めて。
翌日、お母さんに渡すと、
パァっと顔が、明るくなった。
「おう!ありがとう!」
あの、頑固で、子どもたちにお礼や謝罪を言わないお母さんが、
素直に言ってくれて、
なんだか気恥ずかしかった。
「はいよー」
照れ隠しで、また、気の抜けたような返事をしてしまう。
でも、私の胸は、まるでポウッと小さなロウソクの火が灯って、それがじんわり、あったかい温度をともなって、身体中をオレンジ色にした。自分が、ランタンにでもなった感覚だった。
これか。「人の為に、何かできたときの喜び」って。
これか。「貢献」、って。
これか。「できた」、っていう実感って。
「私も、できた」
はじめて、いやでも、懐かしいのかもしれない。料理を通した、落ち着きの中で感じる、エネルギーの循環。
目の輝きが増しているのは、自分でも隠せなかった。
──お父さん、ありがとう。
やっと、お父さんの気持ちが、分かるようになってきたよ。
いま、私は、とっても、とっっても、嬉しい!!
私は、料理で、人の心を明るくする術を身に付けたよ。それどころじゃなく、自分自身も、こんなに嬉しいなんて、ね。
まるで、【魔法】だ。
なんであんなに、"苦しみ"ながらしてたんだろう?
今では、それがわからないくらい。
ありがとう。
これが分からなかったら、一生、苦しんでいたかもしれない。大げさかな。
お父さんの姿を見ていたから、分かったんだ。
お父さんに、与えてもらったもの、
今度は、私が──。