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もう一度、人生をやり直せたなら

皆さんは、『過去』を変えられると思いますか?


(過去は、起こってしまったことだから、変えられるわけがない)

と思う人もいるだろうし、

(変えられるかもしれない)

と思う人もいるでしょう。



さっそくネタばらしですが、
過去は、変えられます。


それは、
「事実」を変えられる、というよりも、

事実に対しての捉え方(自分の中の真実)

を変えることができる

と言ったほうが正確かもしれません。


前の記事に、

「思い込み」や、「信念」の話をかきましたが、

そうした、足枷を

今世ではどのように持ち、それをどうクリアしていくか、

ある程度決めて生まれてきているということは、

私の経験上、そうであろうなと感じています。


全て起こることには、『原因』と『結果』という繋がりがあり、今現在が結果だとすると、過去は原因です。


今、苦しみを抱えている人がいるならば、
その原因は、過去にあるということです。

※仏教の『縁起の理法』(原因-結果の法則)



では、
その苦しみの『原因』ともなった真実は、
いつつくられたのでしょう?


それは、だいたい0〜7歳の幼少期です。
この時期は、顕在意識と無意識の境界が曖昧なため、よくも悪くも、すべてを吸収してしまいます。

起きた出来事・言葉・周りからの評価という自己認知のレッテルが、深く深く自分の自己認知として刻み込まれ、その後の人生態度を決めるのです。


家族の、特に、両親の、
「心ない一言」のせいで、
「冷たい態度」のせいで、
自分を欠陥品・不良品と、
自分を無価値な存在だと、
自分を愛されない存在だと、
思うに至った過程があるはずなのです。


その、無意識下にしまわれた、
抑圧した感情は、平常時には顕在意識、理性の方でコントロールできますが、

無意識下で行う、人とのコミュニケーション、恋愛、夫婦関係、子育て、運転などなどで、
表在化することとなります。


うまくしまい込まれていたと思われていたものが、
ポコっと出てきてしまう。

うまく人とコミュニケーションをとれない自分を責める。
そして、その心の荒波を感じるのが嫌で、また蓋をする。
表面上を、ツールやテクニックで誤魔化そうとしても、また同じパターンを繰り返す。
そしてまた、自分を責める…。



こうした繰り返しを、人は数多く行ってきています。


では、どうすれば、そのパターンから、抜け出せるのか?

それが、『過去に戻っての自己対話』です。


よくあるのが、
誘導瞑想によって、癒されていない過去の自分の意識に戻り、ぎゅっと抱きしめたり、対話をするというもの。


今まで、目を背けて見てこなかった分、
はじめの方は、インナーチャイルドは俯いていたり、泣いていたり、怒っていたりします。


「ほんとは、どうしたかったの?」
と聴いてあげると、
「ほんとはね、◯◯したかったんだよ」
と本音を言い、現在の自分が受けとめてあげる。
そして、本音を言った幼い自分に対して、周りの大人達が「そうだったのか」と態度や声かけを変える。

そんな過程を経て、
その子は、暗い表情から一変、
明るく、黄金色に輝くのです。


これは、
文章で書けば簡単ですが、

体感するのが、1番。



ずっと「暗黒期」だと思っていた出来事が、
それを皮切りに、『自分は愛されていた』と自己認知を大きく変え、
想念体が黄金色に書き換わる経験をした人は数多くいます。


それが、よくいわれる
「世界が180度変わって見える」
の真実なのです。


自分を責めていた
親のせいにしていた
過去を悔やんでいた、

その呪縛から解き放たれ、
愛されていたことに気付き、

大いなる者からの愛を受けて、
なお一歩を進める

その境地に至った時の心境なのです。


ここまで読んでくださった方はおわかりになるでしょう。

苦しみの根源は、
じつは、
『誰かに、傷つけられた』ことではないのです。

『自分を価値のない存在』とし、
『輝かせることを忘れた』
(本来、輝く存在だということを忘れた)
『誰かのお役に立つことをやめた』
そんな、光のない場所へと、
自分を連れて行ってしまった
ネガティブを拾い続けた、

その【自分自身の呪い】=無明

であることを。


苦しみの根源は、
自らが、光り輝く存在だということを忘れ、
天からの愛が注がれているのを忘れた、
自分自身が生み出していたのです。




天から魂として
お母さんのお腹にはいる時に、
全ての者が、覚悟と楽しさをもって生まれて来たはずであるのに。



「お母さんの苦しみが、
全部、私の悟りになるよ
お母さん、頑張れー!」


そう思って、
私たちは、お母さんのお腹に入ってきたはずなのに。

胎児の時に、
または、幼少期に、
周りから傷つけられた、
心に、矢が刺さったと、

いつまでも
いつまでも、

岩に刻むように
自分に呪をかけてきた。



それが、今の自分の苦しみを作り出していた。

その事実は、

自分の人生を振り返り、反省したときに

初めて見えてきます。


それが、病気のタイミングである方もいるでしょう。

子育てが上手くいかないということを発端にする方もいるでしょう。


それに直面したときに、これこそが苦しみだと思うと思います。


しかし、ちがいます。



たとえ、病気などの、それこそが困難、苦難と思われることであっても、

本当の愛に気づいてほしい、
人類に幸せとなってほしい、
そう願う、大いなる者からの愛であることに
私たちは気づかなくてはいけません。


私への戒めとともに
ここに書き記しました。


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taka✢3児ママ・いろんな愛の形
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