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小さな手って

土曜日の午後は、キッズ水泳教室。

「今日はママがいい!」

そんな気分屋の娘のリクエストにお応えし、
プールへと向かった。

時間を見誤り、大きなアリーナの駐車場に着いたときには、2分遅刻。
おまけに雨も降っていて、玄関の傘立てにロックをかけるのを楽しんでいた娘を「はやく!」と急かしながら、矢継ぎ早に着替えの部屋へと走る。

はじめこそ、ほら、と言いながら先を走りはじめた私だが、
いつの間にか娘が、ひらひらなスカートと、少し乱れたポニーテールに、自身の作った振動と風を纏わせながら、
私の手を引っ張る。

あれ?本気で走ろうとしても、身体が重くて、足が上にあがらない──。

この妖精のような4歳の女の子は、いつの間にママより早く走れるようになったんだ?

今、娘のプールバッグと、石化したのでは?と思われるくらいの重量感を放つリュックを背負っていることをハンデだとしても。
それにしても、前はもっと風を味方に走れていたような──?

息が上がり、既に酸素が回らなくなっている頭で
不格好な走り方をする自分をメタ認知する。


「もうー、先行っちゃうよ?」

ついに、軽々と駆け抜ける娘に、笑いながら見放された。


息も絶え絶えに、やっとたどり着いた受付でカードをタッチし、更衣室に向かう。

「もう〜ママが遅いからだよお〜」

なんとかカントカ、今度は私が娘に急かされながら、高速早着替え。
何もしなくても着替えができるんだからホントすごいわね、あなた。帽子曲がってる……けどこの際いいや!ほら、ゴーグル押さえてて、つけるよ!はい、プールバッグもって。タオルはいってるね。

全てを許容し、私は発する。
「オッケー!行きな!」

彼女を先生に受け渡し、ガラス張りの待合室のベンチに腰を降ろす。
ふ───っ。
長い吐息を意識的に吐き出した。

温かみを感じるこの柔らかな木から、
「おつかれさま。きょうもがんばったね」
と、どこかで聞き覚えのあるセリフを受けとる。

体を下ろしたら、汗をじっとりとかいて、喉が渇いている事に気付く。
そうだ、まず、飲もう。飲もう。
まずは、自分を満たしてから、だ。

自宅からもってきた缶コーヒーのプルタブに手をかけ、開ける。
一口、ズズ と啜り、舌の上を十分に湿らせてから、ゴクンと飲込んだ。
続いて缶の傾斜をきつくして、どんどん流し入れると、水分を求めていた喉が嬉しそうにしているのが分かる。


さぁて。
娘は──と。
いた、いた。

ピンクのゴーグルに、花柄の水着。
まだ前の子たちが2人いて、順番待ちをしている。
水に顔をつけながら、手をバシャッ、バシャッ、と水面から水中へかきいれる仕草が見えた。
ふふっ、あれ、私も小さい頃やったなぁ。
空気の泡が、いっぱい出来て、はじめは上から下へ、そして下から上へとボコボコ上がっていくのを観察してるんだね。自分で発見したのかな?


私は、思い出した。
鼻を摘みながら、身体を水中に沈ませ、プールの底に背をつけて、水面に目を向けていた、あのときのことを。

水の中の世界は光に満ちていて。
そこには、一つとして、同じ形の、数の、規則的なものなんか現れやしない。いや、そんな比較対象もないし、測る必要もないし、誰も、求めていない。
そこには、曖昧で、偶然な、揺らぎしかなかった。そして、その時の私は、そんなことを考えることもなく、ただただ、「感じて」いた。
プール底に達するために、わざとコポコポと息を吐いて身体を沈ませていく──。
吐息が、直径にして3cmくらいの不安定で定形を持たない動体となって、どんどんと上に上がっていき、それに反して、私はどんどんと降りていく。内蔵が水圧で押されている感覚が気味悪くも心地よい。底で触れた、塗料のゴツゴツした指ざわりが妙に温かい。
この世界は、今、私だけだ──。必然的に外界の情報がシャットダウンされ、内なる自分が、居場所を見つけた。
だから、その揺らめく世界を見ているだけで、ただ、その瞬間の、「今でしかない、今」が受け取れて、とっても心躍るんだ。



──トンッ。
「ママー」

んっ?声がする方を見ると、2歳くらいの男の子が、私の背中にタッチしながら、笑いかけていた。が、私の顔を見た途端、口に手を当て、固まってしまった。

「すみませんっ」
男の子のママと思われる方が、謝罪の言葉を口にしながら、頭を下げる。
いえいえ、じゃあね、と、その子に手を振りながら、微笑み返した。手を繋いで並んで歩く親子を、振り向きざまの姿勢のままで見送った。

柔らかく小さな手が、背中に残っている。
可愛いなぁ。娘も、ほんの1年ちょっと前までは、私とプールに入っていたのに。

「ミズ、コワイ」
といいながら、しがみついて離れなくて。
少しでも、水に慣れて貰えたら、って、
「ほぅら、アリエルだよ〜。飛んでるよ〜」
そう言って私も一緒になってふざけてたら、いつの間にかプールが大好きになったんだよね。
なんの為にプール来てるのよ、って思いが出そうな自分の心の暴れ馬を、ドウドウ、となだめながら、ね。
そんなのは親のエゴだって分かってるのに、ついつい、子どもには「出来るようになってほしい」なんて思っちゃうんだから。
しょうがないよね、親バカなんだもん。
なんと言っても、我が子が、一番可愛いさ。


プールでは、もう何巡目かの、バタ足の練習が行われていた。
娘は、先生にサポートされながら、小さな手を重ね合わせ、水中に顔をつけ、呼吸を止め、バタ足をしていた。
ん──?タスクが多い。
"ただの"バタ足……をしているようで、全然、"ただ"ではない。"当たり前"では、ない。

若干、4歳。
まだ、生まれて、人生経験4年。

小さな手って。
ここからも、肉厚で柔らかな、その趣が、ハッキリと判る。
この小さな手ってを、懸命に、離れないように重ね合わせ、身体を伸ばし、水面に平行に浮かせ、バタ足で推力を生み出す。

そんなことが、出来るようになったんだ──。
いつも、パパに送迎を頼んでたから、わからなかった。

いつの間に──?
あの、ママに、しがみついて、
「ママじゃなきゃ、イヤ」
「ママとが、いい」

そう言ってた彼女。
そこから、ママと離れて、1人で教わる形に切り替えた。
はじめは不安になっていたけれど、心配していたのは私の方で。すぐに慣れて、びっくりしたっけ、な。
まだまだ小さい手ってのあの子が、
自分で、自分を伸ばしてきた──。

私が、何かをしてきたんじゃない。
彼女が、彼女を奮い立たせ、チャレンジして来たんだ。

紛れもない、彼女の勇気と、努力で──。




小さな手っては、
先生に支えられて泳ぎ終わった後、
引き返した道でも、重ねられていた。

彼女の、「出来るようになりたい」という思いと共に。
もう一度、先生にアドバイスされたことを、引き返しの道でやってみる、という行動となって。

健気なその姿に、私の心の中から、目の奥へ直結して、熱いものが込み上げてきた。


ママが引いて来たと思っていた小さな手って。

必死にママにしがみついていた、小さな手って。

ずっと守らないとと思っていた、その小さな手って。

いつの間にか、その手っては離れて行って。

いつの間にか、「手って」なんて言葉は使わなくなって。

そうして、
離れて行くことは、正直さみしいけれど。

だからこそ、
『今』を、いっぱい感じよう。

ママに、「ママ」という役割をくれてありがとうね。






──プールから出てきた娘を出迎え、髪の毛を拭きながら、今、想いを伝えなきゃ!という気持ちを、言葉に乗せる。

  「すごいね!バタ足も出来るようになったんだね!まっすぐ身体が伸びてたよ。こんなにできるようになったんだね!ママ、びっくりしたよー!」

  「うん、すごいでしょ!
  ねぇ、ジュース飲みたくなっちゃった♡」

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taka✢3児ママ・いろんな愛の形
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