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私が何よりも、信頼しているもの

18歳の時、早朝の街で、男に襲われたことがあった。
突然車から降りてきて、首に腕を回され、横道に引っ張っていかれた。
「ヤバい」と思って逃げようとする私の腕とカバンを掴みながら、相手は私に腹蹴りをくらわそうとしてきた。
幸い、相手が酔っていたからか、それとも本気じゃなかったのか、その膝は当たらず、引っ張り合いみたいな形になって、その間に、途中まで恐怖で沸騰していた頭が、急にさーっと冷静になってきた。

このカバンを手放せば、逃げられる確率が上がる。
それでまず、カバンの中に何が入っていたか、冷静に分析し始めた。
「あれと、これと、、あぁ、あれも入ってたな…」
分析の結果、「これを手放すわけにはいかない」という結論に至り、
「あぁそうか、こういう時は、大声を出せばいいんだ」
って、また妙な冷静さで気づいて、
「誰か、助けて!!」
って、大きな声で叫んだ。
幸い街中だし、遠くに人の気配もある。
(全然人通りのない道だったら、カバンは捨てて逃げてたと思う)
そうしたら、男は「ちっ」って舌打ちして手を離したので、そのまま逃げることができた。

急に立ち上がってきた自分のあまりの冷静さに、驚いた。
もはやあれは、普段の私とは別人格だった。
その存在を認識してから、私は自分のこの“中の人”を、誰よりも信頼するようになった。

19歳の時、六本木の交差点で、すれ違いざまに見知らぬ男に腹蹴りをくらった。
突然のことだった。ニヤニヤしながら近寄ってきて、私のお腹を足の裏で思い切り蹴飛ばしていった。
でも、それも幸い、なぜか痛くはなかった。
そして私は、驚くほどに冷静だった。
横断歩道の真ん中で、蹴られた衝撃で落とした荷物を拾い、歩きながら、交番に行くべきかどうしようか、またやたらと冷静に考えていた。
一部始終を目撃していたであろう、そこらへんにいたホストたちの方が、驚いた顔をしてこちらを見てた。
その時も多分発動してた、
「ちっ、なんだ、あの変な男」
って呟いた“中の人”は、どうやら男っぽいということを、その時確信した。

23歳の時。
某イベントのスタッフをやっていて、某芸能人のライブの前、会場に人がなだれ込んできて危険な瞬間があった。
ゲートがオープンして、我先にとすごい勢いでこちらに押し寄せてくる大勢の人。多分こんな事態は想定されていなくて、そこにいるスタッフは私だけだった。
本当にぞっとする勢いで、このままじゃ自分もお客さんも危ないと感じた瞬間に、また“中の人”が立ち上がってくるのがわかった。

「止まって」

拡声器など持っていなかったし、多分、そんなに大声ではなかったけれど、自分が言ったのかなんなのか、よくわからない声が肚から出てきた。
押し寄せてきた人たちは、大人も子供も、その一声で驚いて立ち止まった。
走ってやって来た1番前にいた男の子が、びっくりして固まってたのが印象的で、当の私自身も、何が起きたのかよくわかっていなかった。

後から別のスタッフに、
「あの時の春ちゃん、男前だったわ~~」
って言われて、確かにあの瞬間の自分はやたら男前だったと、自分でも思った。

本当に、別人格が自分の中にいるみたい。
私は、いざという時に出てくるその存在をめちゃくちゃ信頼してて、だから、「この人がいるから大丈夫」って、いつもどこか安心してるようなところがある。

きっと誰しも、感情の波間を突き抜けたもっと奥にそういう不動の領域があって、“火事場の馬鹿力”みたいなものは、そこから出てくるのだと思う。

余計なごちゃごちゃを取っ払った核の部分に、私たちは信じられないくらいの強さを持っている。

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