合成香料では,味わえない豊かさ
目の前のリアルを丁寧に味わう
ということにおいて、香りはひとつの強烈なツール。本気で感じ取ろうとしたならば、呼吸を深く吸い込んで、耳をすますように、鼻をすます。鼻孔から入ってくる粒子に、全神経を傾ける。
五感の中でも嗅覚は特に、脳にダイレクトに作用してくる。気分や体調に大きく影響する。だから、香りってとっても大事。
にも関わらず、香りブームの最近は、安っぽい合成香料の匂いがそこかしこで匂ってくる。最初は鳥肌がたったそれらにももうだいぶ慣れてきたけれど、その匂いを強烈にまとった人に近づかれると、外れくじを引いたような気分になる。
本人が、気に入って使っているのはわかっている。もはやアイデンティティの一部になっているのであろうその匂いを否定することは、ちょっと難しい。(実際に「その匂いキツイからやめて」と言ってみて、ものすごく反撃されたことがある)
目の前の現実を否定し始めた時、私たちの呼吸は浅くなる。外界からできるだけ、取り入れるものを少なくしたいという意思が働く。呼吸の深さは、目の前のものをどれだけ受容しているか ということと比例する。
それを物理的にコントロールできる香りって、やっぱりすごいんだってば。しかも自分だけにとどまらず、それを周りに拡散することができる。
「今」にしっかりと根付いて生きようと思ったなら、五感をしっかりと使おうとすることが大切で。その中でも、嗅覚は記憶を呼び覚ますという機能もあるように、私たちの脳内の“時間”の領域を司るもの。直感がわくのは、未来から漂ってくる香りを、感じ取っているということでもある。
そして過去未来だけでなく、「今」を深く味わわせてくれるのもまた、嗅覚。美味しそうな料理の香りや、かぐわしい花の香りを嗅ごうとした時、私たちは全身全霊で「今」にいる。
「今」にいることで、私たちの幸福度は上がってゆく。ここにあるたくさんの豊かさに、気づき始める。
人生の意義は、一瞬一瞬を深く味わうということの中にあるのだから。
それを強烈な合成香料で埋め尽くし、誤魔化してゆくことのもったいなさ。本当に誤魔化したいのは香りではなく、自分自身なのかもしれない。そして、「今」という瞬間でも、あるのかもしれない。
視覚は「今」を客観的に眺め、味覚は「今」を取り入れる。
聴覚は「今」を拾い集め、触覚は「今」の上に乗る。
そして嗅覚は、「今」に深く潜らせる。
人生の粒子の一粒一粒を、大切に味わってゆくこと。それが本当の意味での、「時間を無駄にしない」ということ。
合成香料の粗い粒子ではなく、天然香料の細かい粒子で、人生を豊かに埋め尽くしていこう。