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かごめ ep.4

「あれ、櫻田。文芸部に入ったのか」
 小教室で黙々と互いの執筆に勤しんでいた時分、挨拶もなしに佐々井が顔を見せた。茉莉花はつと彼の顔を見つめ、ややあって、そういえば文芸部の顧問だったと思い出す。
「期間限定です。綾音ちゃんに執筆の指導をお願いして」
「へえ。小説を書きたくなったの?」
「いえ、脚本です。演劇の」
「ああ、そう。脚本だったら夏目先生に指南を仰げばよかっただろうに」
 学生時代から演劇一筋で、ずっと脚本も書いてきた夏目。現代国語の教師でもあるため、茉莉花の脳裏に過ぎらなかったわけはないが、教えを乞う気には到底なれなかった。それに夏目の介入を許したら、結局今までやってきたものと同じになってしまう。それは避けたかった。
「でも、個人的なものなので。先生のお時間を割くわけには」
 佐々井は綾音の方を向いて、「どう、阿南。櫻田先輩は才能ある?」と人の悪い笑みを添えて訊く。
「そうですね。先輩の中に描きたい確固としたものがあるので、私から教えられることなんてほとんどありませんでした。ただ一緒に書いてもらっているだけです」
 ふうん、と佐々井は興味があるのかないのか分からない相槌を打って、「じゃあ、がんばれよ」とだけ言い残して、ふらりといなくなった。気ままな人だ、と茉莉花は評価する。
「佐々井先生はたまに顔を出されるの?」
 綾音の門下に入って一週間ほどだけれど、佐々井が現れたのは初めてだった。綾音は佐々井がさっきまでいた辺りをしばらく見つめていたけど、弾かれたように茉莉花に向き直って、「以前は、それこそ毎日のように。でも、今日は久しぶりでした」と答える。茉莉花は心なしか嬉しそうな表情を仄見せている彼女を見、佐々井を慕っているらしいと踏んだ。
 佐々井は、目立ってはいないけれど、少なくとも夏目よりは遥かに生徒たちの支持を得ている。茉莉花の学年で挙げれば、和美や七瀬なんかが放課後によく佐々井の元を訪ねている。
 茉莉花も特別どう捉えているわけでもないが、悪い感情は抱いていない。
 綾音のおかげで初めての脚本がなんとか形になりつつある。断片的に思い描いていたあれこれを、綾音の客観的な分析で筋道を通してもらった。後はできあがったものを演劇部に持って行き、実際に演じてみてどうか試して微調整を図っていけたらいい。
「そういえば、綾音はかごめに纏わること、まだ追っているの?」
 顔を上げて、綾音は茉莉花をまじまじと凝視する。なにかまずいことを言ったかしらと、茉莉花は内心怯む。
「はい」
「私は親しくなかったから、話せることはない……そもそも、かごめと仲がいい子なんていたのかな。嫌っている人もいなかっただろうけど、仲のいい人と言われても誰も思い浮かばない。彼女はあんまりにも大人し過ぎたから」
 まさか、あんなことになるなんて、と言いかけて、言葉を飲み込んだ。今ここでそう言うのは果てしなく嘘っぽくて、性格が悪いみたいだ。
 綾音がどうして執着しているのかもう一つ判然としない。茉莉花はあの事件を詳らかにしようとする考え方がちょっとも理解できない。
 束の間、綾音の鋭い視線に捉えられる。彼女の成績が揮わないのが不思議でしかない。綾音と親しい澪南の方が段違いの成績を誇っているのが変なくらいだ。改めてその認識を深めるくらい、このときの綾音の眼差しは聡かった。すべてを見透かしているかのように。
「先輩方が一年生の頃の冬、瀬尾かごめさんは思いがけなく命を落としました。校内の教師、学生のほとんどすべてがその死を不慮の事故や何者かの凶行とは考えず、自発的な死だと見做しました。
 茉莉花先輩が先ほど口にされたことと同様に、同級生のみなは彼女との繋がりが希薄で、深い悲しみに包まれはしなかったこそすれ、それでもそれぞれに大なり小なり動揺はあったようでした」
 綾音は淀みなく喋り続けていたけど、しばし口を噤んだ。手元の、小説を書きつけていた冊子の終わりのページを開き、また話を再開させる。茉莉花はその先を聞いてはいけない心地がした。
「かごめさんの同級生の中で、その冬以降極端に学年内の順位を落とした方々……元ダンス部で、現漫画研究会所属の平岡莉奈さん、陸上部の本田美波さん、吹奏楽部の与謝野佳奈さん。反対に、落とした人たちがいたおかげもあってか、そこから一気に上位の常連となった陸上部の東七瀬さん。それから、事件の直後、一か月ほど体調不良を理由に学校を休んでいた八十島絵梨花さん……などなど。細かく挙げていけばキリがありませんが、影響力の少ない女生徒一人の死でも、校内の湖にはこれだけの波紋が広がっています。すべてがかごめさんに起因しているか不明ですけれど」
 ずっとこの籠から早く出たいと思って生きてきた。翼を広げ自由に飛んでいきたい。進学のことばかりに囚われ、女生徒たちは大事なものを見失っている気がする。周りを窺い、小細工をし、精神的な圧を与える。真面目で純真な娘ほど正しさを見誤る。違う形で出会っていれば、もっといい関係を築けていたのではないか。
 それで、と声を落とす。なにか分かったの? 綾音は結んでいた形のいい唇を半ば開いて、まだはっきりとしたことはなにも、と答えた。
 くだらない、と吐き捨てるわけにはいかない。そういう悪感情を押し殺して、発散したい分を演技にぶつければいい。だけど茉莉花は違和感を覚えずにはいられない。綾音がかごめの死を追っていったいなにになるだろう。誰もが思い込んでいる事実と違ったとして、それは明らかにする必要のあるものなのか。
 窓の外を鳥が横切った。低く旋回している様子を見るに、明日は天候が優れないかもしれない。


 どう、と見せびらかすようにくるりと回り、ロングスカートが揺れる。素敵よ、と祐実に笑顔を向けて、茉莉花はいよいよだと覚悟を決めた。自ら望んだこと、今さら逃げ出したいなんて口にすることも憚られる。
 窓辺で真摯な眼差しを湛えているさゆりの傍へ寄った。いよいよ、だね、とわざと声に出して伝えると、さゆりはかなり長い間を置いてから、いよいよ、だね、と鸚鵡返しした。毎度舞台本番直前の気持ちの昂ぶりは避けられない。高校生活最後ともなればなおさらだ。
 最終学年になって、茉莉花たち三人はわがままを言った。それは失敗したときに批判を浴びやすい状況を自ら作ったことと同義だ。それを承知の上で、祐実は女役を、さゆりは男役を、そして茉莉花は自作を舞台にかけることを押し通した。
「青春、かも」
 さゆりが唐突に呟いた。茉莉花はおかしくって笑う。「どうしたの、いきなり」
 さゆりは悪戯っぽい笑みを浮かべる。「ふと感じたの。青春だ、って」
「そっか」
 綾音には感謝してもしきれない。きっと一人では脚本をまとめ上げられなかった。原稿の束を持って行ったとき、祐実とさゆりは目を丸くし、でもすぐに読んでくれた。舞台上で演じる際の問題点だけ洗い、話の大筋は文句をつけられないと絶賛してくれた。
 やっぱり本番前は緊張するけれど、今回はまた異なる心持ち。作り上げたものがどんな風に受け取られるのだろう。いろんな意見が生まれて欲しい。
 二人とも、もうすぐ始まるよ、と祐実の低いがよく通る声が聞こえる。幕が上がる。茉莉花たちは舞台の上で羽根を広げた。

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