精神科に通ってよかった!

精神科に通うようになったのは次女を産んですぐのこと。

心がここぞとばかりに落ち込んで、浮き上がる兆しも見えなかった。
暗いトンネルを進めずに漂っている感覚で、時折激しい後悔の念に襲われては地面に突っ伏して咽び泣いてた日々。
目の前で笑っている娘を丸ごと受け止めることができず、頭の中はいつも過去に引っ張られている状態。その状態でいる自分にも腹が立っていた。

だって、目の前の娘はどんどん成長して、
数年後にはもう全く違う見た目をして、今よりずっと流暢に話せているでしょう。その時に私は、なぜもっと昔の娘を全身で受け止めて、愛しぬいて、丸ごと抱きしめて、強く記憶に刻まなかったのだと後悔すると思う。
それも分かっているから、今を生き切れていない自分のことが嫌になって、
後悔の連鎖を生み出してしまうことを予期しながらまた自責の念に押しつぶされそうになっていた。

「もう疲れた」
そうなんだよね。頭の声は止まらないし、心はキャパオーバー。
私の力ではどうにもこうにも、私を助けてあげられることは出来なくなってたように思う。
そうなると、部屋を掃除したり、瞑想したり、本を読んだりして、心の自然回復を待っている余裕はない。

精神科へ通い始めたのは、区の保健士さん訪問で紹介していただいたから。
あの時あのタイミングで紹介してもらって本当によかったと思う。

紹介された精神科病院は先生との相性が良くなくて通院はやめちゃったけど(^^; どうにも先生が期待している回答を時間内に話すことが目的になっちゃって。。

自分に合うかかりつけ医を探そうと、それもまた楽しみになってきた。
それは、処方された漢方がなかなか良く効いて「お薬で治るんや」と目から鱗の体験をしたから。
少しでもお薬が効くと「あ。これは病気だったんだ」って、回復への道筋がグッと明確になったから。
【時間がたてば治る】と果てしない階段を上るとばかりに思っていた自分に、もっと早くて確実な方法が提示されたから。

まだまだ、グーと気持ちが落ち込むことは多いし、
朝起きてみないと、今日はイケる日かダメな日かは分からない怖さもある。
だけれど、私は今日も生きているし、2人の娘は可愛いし、部屋の模様替えをしたい気持ちも湧いてきた。青い空を見て、こんな日がずっと続けば良いなと心から幸せを感じる瞬間だってある。

保健士さん、臨床心理士さん、精神科の先生、
様々な方に自分の心の内を話す機会に恵まれたことで、苦悩や後悔を口に出すことのハードルが下がってきたことも良かった。

身体が痛いときはすぐに病院に行くのに、
心が痛いときは限界まで耐えさせてしまっていた。
自分に優しくする、の意味をこの経験から学べたことに感謝している。

私を救うことを、他人に任せても良いってこと。
その時にいかに自分の心を開けるかだと思う。
けがをした時に、お医者さんに傷口を全部見せない人がいないように、
私は私の心を開いて、素敵な病院に巡り合えますように!









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