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多様性を無視する恐怖…②
多様性を受け入れることもまた恐怖
僕たちは同じ考えを持っている人といることが心地いい。
なぜか。
自分が正しいと思いたいし、自分の考え方に共感してほしいという願望を持っているからだ。
そして、
私達のDNAには刻まれている。
異質なものはリスクであると。
駅前のハトに何も感じないだろうが、家にハトがいたら反射的に恐怖を感じる。
職場に耳が聞こえない”ろう”のメンバーがいたら皆さんは出会い頭に何を感じるだろうか?
ポジティブな発想が先に浮かぶ人はおそらく少数であるはずだ。
異質なものを受け入れることにストレスがかかることを認める
私が過去務めていた職場にはNさんという耳が聞こえない”ろう”のスタッフが働いていた。
異動してきたメンバーはNさんと最低限のコミュニケーションしか取ろうとしない。
挨拶すらしないのだから。
だから、Nさんも挨拶をしなくなっているし、
なにより一切笑わないのだ。
つい最近「多様性は武器になる」というコースを制作した私だが、そんなNさんにメールで怒りをぶちまけられたことがある。
私が顔を突き合わせずチャットで面談をしようとしたことに激怒したのだ。
「障碍者と関わりたくいないならそう言ってください!」
「そんなにコミュニケーションを取りたくないなら直接私からは話しません!」
これはNさんに言われて本当に深く反省した…
その時のわたしは確かに忙しさを理由に筆談での面談を避けた。
でも本心はどうだったろう。
自分にストレスが掛かることを避けたんだと思う。
Nさんの立場になればすごく悲しいことだったと思う。
ただでさえ障碍への理解不足からメンバーとのコミュニケーションが希薄で、新しく着任したマネジャーが面談をチャットで済ませようとしてきたのだから…
自分と明らかに違う属性を持っているストレスはかかるのだ。
意識をしなければ相手の靴を履くことはできない
Nさんの気持ちを落ち着いて想像すれば”チャットで面談”という手段は取らなかったはずだ。
しかし、相手の気持ちを落ち着いて想像する、ということは意識をしていないとやれないものだ。
「なにその言い方?!」
からヒートアップする夫婦げんかはなぜ起こるのか。
相手が嫌な気持ちになることを知っているはずなのに言ってしまう。
そう相手の靴を履くくらい、意識的に時間を取って「よいっしょっ」としないと相手の気持ちを想像することはできないわけだ。
それを日頃からみんなができれば世の中の争いごとは90%が消滅する。
世の中の争いの90%は相手への無理解から来るものだから。
それに気づいたときNさんの笑顔が見られる日を心から願う日々が始まった。