あいまいな言葉で濁す、逃げる、ができちゃうのが公教育の少し困ったところ..
おはようございます。ExWのトラです。
連休最終日ですね。皆さんお元気でしょうか?
お天気も昨日までよく、掃除三昧の日々でした(笑)
久しぶりに隅々まで雑巾がけ、、、なんか心がすっきりしました。
さてさて、、、
今日はこの記事と我が子どもの学校で生じたとある事件との関連を少し記載したいなーとおもいました<(_ _)>
なんだかほんと、こういった指摘をずばりとしてくださるのは、、、、
客観視できる方々だな、と。
あいまいな表現がすべてわるい、とは勿論いいません。
しかし、どうにもこうにも こどもたちの成長発達にとって、
あいまいさで「逃げる」ことを容易にできてしまうのが
公教育、政治、ではないかと。
梁氏は、
「不適切だった」という「あいまいな表現はやめよう」という提案をこの記事の中でしてくれています。
この「不適切でした~」というあいまい表現で、、、、
いかようにもこの「不適切だったと認めた人々」は「逃げること」が簡単にできてしまうこと、
そのこと自体が問題であるということ・・・。
「不適切でした、すみません・・」ではなく。
「問題になっている事実を明確に、差別のラインはなんなのかをみんなで具体的な判断を重畳化していくこと」を大事にしよう、っておはなしでした。
これ、公教育の中で、一番大事な視点じゃないかな~?と日々思うのです。
実は先日私の子どもの学校でトラブルがあったんです。先ほども述べましたが、
ちょいと大きな事件で、いくつかのニュースでとりあげられちゃいました。
要は 教師の不適切な行動、、、だったんですが。
子どもたちは若干動揺しています。
このとき、保護者全体説明会があったんですが、、、
どうにもこうにも、あいまい表現が多かったんです。
まあ、仕方ないか、と。
ただ、速やかな保護者会設定にはほんとに感謝しています。
先生方、忙しいのにね、、、
「不適切な行動で、、、お詫び申し上げます、、、」
何がだめだったのか、
どうしてそうなってしまったのか、
それを食い止めるような施策はないのか、、、
社会的基準が形成されていかないと、
と梁さんはおっしゃってますが、
まさに公教育もそこに落とし穴があるとおもうのです。
基準をがちがちにしろとはいいません。
ただ、
あいまいな言葉でにごしていると
結局また同じような事件がおきたときにどうなっちゃうのかな?
って・・・
具体的実践、と梁さんは最後にしめくくくってくださいました。
そう、
具現化が非常に少ないのが公教育のちょいと厄介なところなのです。
なんでもかんでも基準つくってマニュアル化すればよいわけではない・・・
かといって
職人のような手探りだけでは限界もあるし、、
今回梁氏がご指摘してくれたような ある種、積み重ねの具現化
が必要なんですよね・・・
ほんと、ここ、教育にこそひつようだなーと。
改めて感じるトラでした。
本日もありがとうございました。
ExWトラ