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外から見える教育現場の変化

こんにちは!りょーさんです。
新年度が始まり二週間が過ぎました。
札幌は例年より早い桜の開花。
そして、子どもたちは新学年の変化に対して、いろんな受け取りをします。多くの各ご家庭、先生方、気を張っている状況かと思います。大変お疲れ様です。

うちの息子も中学に入り、慣れない中手探りで頑張っているようです。
ありがたいことに息子にとっては良い担任の先生のようだし、友達もできて、「学校はつまらない」とも言いつつ、それほど嫌そうに見えないので、親としてはとりあえずホッとしています。


学校の先生になりたい学生さんについて


今週、とらさん、ゆこさんが「学校の先生」をテーマに書いておりました。

とらさんが書いた教員になりたい学生たちのパターンも確かに実感としてはその通りです。
たとえば、真っ直ぐ一直線に教員になろうとする学生、ちょっと心配なんです。
おそらくそういう学生は、「学校はいいところ!」という経験を積んできています。学校で友達も勉強もスポーツも先生の覚えも、いい感じに過ごせたのでしょう。それはとてもいいことです。
でも、一方で、その場合、子どもたちの「学校がしんどい」を理解することが難しくなることがある。
キラキラした先生がキラキラしたまま子どもを追い込んでしまう場合もあります、、、。しんどい子はそのキラキラが苦手だったりします笑(僕もどっちかというとそっちで、、、笑)。
でも、そこでちゃんと立ち止まって考えられる先生は、キラキラしながらも寄り添えるいい先生になることだってあります。

逆に学校というところで自分は傷ついてきた、でも、ある先生に支えられたからこそ今の自分がある、という学生もいます。だから子供と関わる仕事をしたい、と。
自分も支える側に周り対し、恩師の先生みたいになりたい、そんな想いをもっています。
そんな経験を持つ学生は「そもそもそれは学校でできるだろうか?」「結局子供のためにと思いつつ、そんなことはできないのではないか?」と思うことがあります(そして、うちに就職してくれる場合もあります笑)。
想いがしっかりあるんだけど、教育現場見てガッカリ、諦めてしまう。たとえ教員になっても想いを育てられないまま、「こういうもんだ」と受け入れてしまう場合もあるでしょう。

ゆこさんが自分のお子さんの学校での経験で感じた先生への「ガッカリ」。
でも、もしかしたらその先生だって最初はキラキラしていたかもしれないし、想いをもっていたのかもしれない。
現場に支えがなかったために「闇堕ち」してしまったのかもしれないのです。


教育現場の疲弊がこれだけ見えると、、、

Twitter上で論争になった文科省の「#教師のバトンプロジェクト」、目論見に反して「教育現場はこれほど疲弊しているんだ!」ってことを「これでもか!」ってくらい見せつけてくる。

想いを持った学生が、ちょっと外の情報や働いている教師たちを見ると「やっぱやめようかな、、、」って思ってしまう現状が、、、やはり事実としてあるのかなーって思います。
そして、想いを持った学生は違う選択をし、教採の倍率は下がり、また現場は疲弊していく、、、。構造的な悪循環、、、。

その上で、でも希望はないのか?! いや、ある!(と思いたい!)


学校の先生たちと対話を重ねていく中で


僕は学校の先生方を外から見られる現場にいる者です(学習塾and放課後デイ)。
あえて「学校現場、絶望ばかりではないぞ!」という視点でも書いてみたいと思います。

放課後デイを始めて6年になります。
放課後デイを立ち上げた理由の一つは、学校やさまざまな機関とケース会議をし、連携をちゃんとしたいんだ!ってことでした。(学習塾だと個人情報の壁にぶち当たり、学校側が拒否するため、難しかったのです)

そして、この6年で「変わったなー」って思うことがあるのです。
これは僕の肌感覚にすぎないし、札幌市は比較的リベラルな気風があるので(?)、他の地域とは違うのかもしれません(とらさんがいた地域の中学はとても昭和な感じに聞こえましたね、、、)。

僕たちが6年前、学校との連携を始めた時、ただただ手探りでした。
保護者の了承のもと、担任の先生にお時間をいただき、そのお子さんについてお話しします。
でも、お互い知っている情報を伝え合ったはいいけど「そうなんですね、、、以上!!」って感じで、「この会議は意味があったのか??(力不足!)」って終わってからモヤモヤすることがたくさんありました。

電話をして「会議しませんか?」と提案しても、「何を話すんですか?」と警戒されることもしばしば。
会社としては「ほとんどお金にならず手間もかかり、かつ手応えが薄い、すぐ大きく変わるわけでもない」
でも、それでもこの6年、地道に学校の先生たちとの対話を重ねてきたつもりです。
その中で変化を感じるんです。

学校現場に感じている変化

感じているのは以下です。
・若い先生たちがとても柔軟(子どもの最善を考えようとしてくれる)。特に小学校ではそれを感じます。
・教頭・校長先生たちが「これまでとは時代が違うんだな」っていうことを受け入れ始めている気がする(昭和のままじゃいけないんだ!っていう気配を感じます)。
・合理的配慮の幅が広がっている。(今までだったら「前例がない」で終了。最近「前例はないけどできますよ」って言われた。たまたまかもしれないけど、、、)
・ケース会議の提案も警戒されることが減った。
・ケース会議によって子どもにとっての「よいよい場」を学校の先生たちと作れるという手応えのある事例も出てきた。

これを踏まえていうと、時代の大きな流れ自体は変わってきている。
現場は確かに追っついていない面もある。相変わらずブラックで忙しすぎる。
…でも、何かは変わっている。


変化は遅い、でも確かに変化している

教員というお仕事にキラキラした想いを持っていたり、あるいは、自分が支えてもらったからこそ支えたいという想いを持っていたりする学生さんたちが、その想いを育てていける人として、教員として活躍してほしい。僕はそう思っています。

そして、ちょっとこれは手前味噌ですが、
初めての先生に名刺交換すると「えりくさんですね、いつもお世話になっています」と言ってくれることも増えました(「えりく」はうちの放デイの名前です)。あらかじめ知ってもらえると初めての会議でも対話が弾む感じがします。
狭い範囲の話ではあるのですが、地道な対話を重ね、地道なやりとりを続けてきたことでの変化だとも思います。

こういう変化を地道に作っていくしかないのだと思います。

そのように考えると、僕たちができるのは、その変化が小さくてもなんでもいいから少しずつでも進むように、教員の皆さんと対話を重ねていくこと、学生たちといい出会いを続けていくことなのかなー、そんなことを思っています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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