いのちをいただく
冬はつとめて。
雪の降りたるは言ふべきにもあらず、
霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、
火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。
冬は早朝の趣が、素敵ですね💓
という、枕草子の一文です。
ほんとは水曜日担当 公認心理師の高杉ゆう子です。
近頃の早朝は、ほんとに日の出が美しく、忙しい時間にしばし見入ってしまいます。
さて…
いつも、「いのちのおはなし」で、「いただきます」の意味についてお話します。
いただきますは、いのちをいただきます。
ですよね。
我々のいのちは、自分以外のもののいのちを頂かないと、生きてはいけません。
なんでそんな仕組みになっているのかは、生きることの根幹に関わることなのではないかと思っています。
鶏と数日過ごし、一緒に過ごした鶏を絞めて頂く…
という体験ワークショップがあると聞きました。
絞める直前、鶏を抱きしめて、これから何をするかを伝えると、抱いた鶏はその身を預けるのだとか…
そしていのちを頂く実感を噛み締めるんだそうです。
先日取材させて頂いた鹿撃ちのかたも、野生動物を単なる害獣にするのは好まないと…
食べたり、アクセサリーにしたり、いのちを喜びに変えられたら、頂いたいのちは、無駄にならないのではないか…
というお話をされていました。
生きてる以上、何かのいのちを頂いていのちを繋いでいる私たち。
もしかしたら、クリスマスにチキンやローストビーフなどが食卓に並ぶかもしれません。
そんな時、さりげなくそんな話が話題に上って、食べるみんなでいただきますができたら、
いただかれるいのちも、本望なのではないかと思うのです。