『ライオンの隠れ家』第2話をみて自閉症児の母として思ったこと
申し訳ありませんが、結構批判します…
気分悪くなったらすみません🙇💦
ドラマ『ライオンの隠れ家』のホームページ↓
なぜみっくんとライオンだけで行動させた?
うーん、どうしてもイラッとしてしまうんですよね…自閉症の特性のある人の周囲の人の反応として…(親として…と言った方がいいんでしょうか…)
私としては、「いくら誰からか連絡が入ったとしても、子供を任せて2人で行動はさせない」と思います。
みっくんは、文字は読めるし、ある程度身の回りのことができるのかもしれませんが、偏見かもしれませんが、うちの息子のように知的障害もあるんじゃないかなと思っています。
みっくんは平日、事業所?から車で迎えにきてもらって、帰りもお兄ちゃんが迎えに行き、土曜日はお兄ちゃんと一緒にルーティンをこなす…ということは、基本は1人で行動はしない…ということなのではないかと思いました。そうなると、やはり少しは知的障害もあるのかなと…医者じゃないから断定するのもダメですが…
周囲の音や予期しないことが起こることでパニックになるなら尚更、1人(with 子供)で行動はさせてはいけないのではと思います。
身内がどうしても一緒に行けないのなら、『行動援護』(障害のある人が別の場所にいって家に戻ってくる間、資格のある人に介助してもらいながら、行動すること、移動だけなら『移動支援』、危険を回避させたり、できないことを手伝うなどの介助を伴う場合は『行動援護』)を使うか、一緒に連れていくか…
少なくとも、いろんな危険性があるから、みっくんを1人にさせちゃいけないし、
ましてや小さい子供と一緒なんて…
やっぱり納得はできません。
パパの感覚…少し納得
私がイライラしながら見てたら
『見なきゃいいじゃん、サスペンスも入ってるんでしょ?身内にそう言った人がいないと、正確なところはわからないじゃん』
確かにね…😑
『それに、このお兄ちゃん(柳楽優弥さん)はうちで言うしゅんちゃんじゃん』
確かに…
要するに『きょうだい児(兄弟姉妹に障がいのある人や病気の人がいること)』の視点でも描かれていると言うことなんでしょうか…
親の視点、保護する人の視点ではなくて…
今回の話では、みっくんがバスの中でパニックを起こし、昔同じことがあったことをみっくん自身が思い出して我に帰り、バスの床に座り込んでいました。
後でそのことについての回想シーンがあります。
その回想シーンでは、昔、まだお兄ちゃんが大学生だった頃、バスに偶然友達が乗り込んできます。
話しかけられて、話を少ししたのち、自閉症の本に視線を落として、何かを思ったのかわかりませんが、そーっとバスを降ります、みっくんをバスに残したまま…
その描写で、感覚としてはやはり保護者ではない、きょうだい児として、一緒に生きてるだけだから、私たちのような親との感覚の違いがあるのかなと感じました。
我が家のしゅんちゃんも、お兄ちゃん(はるくん)がしょっちゅうパニックになっていて叩かれたりするので、もし同じ状況に置かれたら、この物語のお兄ちゃんと同じ感覚になるのかなと…
でも、そもそもしゅん自身もADHD+自閉症の特性があるから、この話のお兄ちゃんのように、任せることはないんだろうけど…
以上が、今回の話で感じたことです。
サスペンス要素よりそっちの方が気になってしまいました😅
この話では、ご両親はお亡くなりになってますから、お兄ちゃんが代わりに保護者的な立場になってる感じですからね…
仕方ないのかな…
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
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