文章の書き方 講談方式

今回の話は思ったより役に立たないかもしれない。
というのも今回紹介するやり方ですが、一言で言ってしまえば「脳内で人物が会話してるのを想像できる人向け」のやり方であって、前回の『視点』ほど多様性がないかもしれないと書いてから思った。
このやり方は人を選ぶ。でも慣れれば1000字だろうが2000字だろうが余裕でサクサク埋まる。
そんなはる流の物語書き方講座、三選です。

講談方式

『講談』ってみなさん聞いたこと、あるいは見たことありますか?
後述する「落語」や「漫才」に比べると知名度は落ちる(気がする)んですが、歴とした伝統芸能の一つです。
着物を着た講談師と呼ばれる人が机の前でハリセンを持って、軽快でリズミカルに語り、時には手元のハリセンを「パーンッ」と鳴らしながら物語を紡いでいきます。

講談は軍記物が多く、戦国武将などの物語をト書きと呼ばれるセリフ以外の状況や登場人物の動きなどを多く語ります。
もちろんセリフもありますが口上の決め所はト書きの部分が多く、軍記物であれば颯爽と現れた戦国武将の様相を語り聞かせます。

私が講談風に書く際は、ト書きの部分を重視しリズムよく話せるようセリフは少なめに、かつ読んだときにもイメージしやすいようにしていまう。
そのまま講談として語っても違和感なく読めるように書いてくパターンがこの『講談方式』となります。

講談方式 例

時は戦国1563年。
剣聖上泉信綱と槍の俊英である宝蔵院胤栄が互いの威信を懸け野試合を行った年である。
今でいうところ中国地方でも威信を懸けた争いが起こっていた。

その一方は後に中国地方を制する破竹の勢いで突き進む毛利氏。
そしてもうひと方は毛利氏の邁進を食い止めようと決死の抵抗を続ける尼子氏。
今回の主役は抵抗側の尼子氏、そして尼子氏に仕える天下無双に名を轟かす山中幸盛。またの名を鹿之助その人だ。

幼き時より豪放無頼。
13歳にて初陣を飾り、その初陣で敵を打ち倒す豪傑ぶり。
その後も数々の戦で首級をとり「山陰に麒麟児あり」と恐れられた。
そんな武将としては順調な成果を上げた鹿之助だが、ある時神へと祈った「天地開闢の神々よ、我に七難八苦を与えたまえと」
自らを追い込むことでまるで瀧を駆け上がり龍へとなるように、より高みへと上り詰めようというのだ。

話は戻り1563年。毛利は尼子が持つ白鹿城へと大軍を放ち進軍してきていた。
尼子は毛利の進軍を食い止めるため尼子倫久を大将とした軍を送る。
鹿之助は尼子倫久とともに援軍のため急ぎ向かう。
しかし後に白鹿城の戦いと呼ばれるこの戦いは毛利が白鹿城を落とし、尼子はあわれ敗走となる。

ただ逃げるにしても敵も追う。
鹿之助は神への祈りが届いたとばかりに僅かな手勢を率いて、味方が逃げる最後尾の殿軍としてこれを向かい撃つこととなる。
そこでの鹿之助の活躍はまさに一騎当千の暴れっぷり。
追いかける毛利も強者ぞろい、毛利の中でも両川と呼ばれる鬼才である吉川元春・小早川隆景の連合軍。
それを鹿之助は逃げる味方を助けるために攻め来る両川を追い返すことなんと7度。
ついには尼子勢は月山富田城まで逃げることに成功し、かつ鹿之助も同様に無事退却することとなる。
「山陰に麒麟児あり」この呼び名は伊達では無かった。鹿之助の強さを見せつけた一戦であった。

続く

鹿之助の話が楽しすぎて、書いててテンション上がって長くなったので続きは次回
次回は「落語形式」
もうちょいセリフが多くなる。

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