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夢ができた

弟が活き活きとできる環境をつくりたい!

やっちゃん

私には特別支援学校に通う弟が1人いる。4人兄弟の末っ子だ。みんな「やっちゃん」っていう。
私より3つ上の兄と、私より4つ下の双子の弟がいて、一番下のやっちゃんは生まれつき自閉症と発達障害がある。

やっちゃんは今、高校3年生で小学校のころは特別支援学級、中学校から特別支援学校に通っている。自転車に乗るのが好きなやっちゃんは、中学は通学バスで通っていたのに、高校から自力で自転車で通学している。雨の日は市バスを乗り継いで行っている。えらい。

やっちゃんの性格は、頑固であまのじゃくで、計画を立てるのが好きで、寝起きと眠い時とお腹空いたときと思い通りにならないときにしぬほど不機嫌になるようなちょっぴり気分屋。家族が大好きで、友達も学校の先生も大好きで、「愛情いっぱい注がれて育ってきたんだね」ってよく言われるような子。あ、あと鋭いツッコミと家の近辺マップがインプットされてるのが強みで、近所をドライブする時にはナビ的な役割もばっちり。車とか買い物とか人が集まるところ(祭りとか法事とか…笑)が好きで、朝は寝ぐせ爆発で朝起きてくるようなそんな子。あとあと、誰に対してもよく気を使う、ちょっと繊細さんなところもある。計画力も抜群で、逆算とか得意なタイプ。私は苦手だからよく助けられてる。(笑)

特別支援学校の中では「よくできる子」らしく、先生方からも頼りにしてます!と言われていて、いわゆる障害があると言われている割には「自立生活力がある」という感じ。修学旅行のお迎えに行くと、先生がボケてやっちゃんがつっこむという構図が綺麗にできていて本当に笑った。

家族の中でもボケるしつっこむし、常ににぎやかなやつだ。
お姉ちゃんが大好きなようで、私が深夜に帰ってきてもトイレに行くふりをして1階に降りてきて定期的に様子を見に来る。1日会わなかっただけで「お姉ちゃん、なんか久しぶりやなぁ」とか言っていじってくる。私がいない日は「はるかよ~はるかよ~」と私の名前を連呼しているらしい。私のこと好きすぎるやろ!!
(私の名前は「はるか」だが、母が私を起こすときに怒り気味で「はるかよ~起きなさい!」と言っていたのを機に、気づけばあだ名が「はるかよ」になっていた…笑)

やっちゃんのこれから

やっちゃんは来年から社会に出て、最寄駅から1駅のところにある事業所で働くらしい。そこではレザークラフトやらカフェやら、色んな事業をしているらしい。
母に聞くと、特別支援学校が卒業後の行く先候補一覧を用意してくれて、高2くらいから体験などを重ねてマッチングしていくそう。製造業や福祉系のサービス業など事業所は様々らしい。学校でも手芸班、園芸班、木工班に分かれて、将来事業所で働くのに向けて色んなことを経験する機会があるそうで、やっちゃんは高1高2で木工班で、高3では手芸班で布を織ったりバッグをつくったりしているらしい。

来年の春から働くやっちゃん。私も来年の春から社会人になるから一緒やな!とか言ってたんだけど、そこで疑問を持った。
やっちゃんって、自分のお給料だけで生活できるの?』
母に聞くと到底無理らしい。一人で暮らすのは無理で、自分のお昼ご飯代くらいかな~と聞いた。ええ、、、、そうなのか、、、、
わかる、できることに限りがあって、雇う側としてもあらゆる制限がある中で人を雇用するというのはとても難しいだろう。働ける先・受け入れてくれる先があるだけ有難いのかもしれない。

お姉ちゃんの願い

でもやっちゃんが自由に生活するためには、やっぱりお金というのは大事だ。お姉ちゃんの願いとしてやっちゃんには自由に生きてほしい

買い物が好きなやっちゃん。今は母親を財布だと思っている。(笑)
何か欲しいものがあると母を連れて行ってプレゼンする。洋服が欲しいときは「最近寒くなってきたやん、でも暑いときもあるやん。だから脱いだり着たりできるのがええやん。これめっちゃええな、あったかいわ。ほしいな~~」って。(笑)
母はやっちゃんに甘いから結構簡単にOKが出て買ってもらえるんだけど。

でも両親が働けなくなったらとか、両親が死んだらとか考えると、そういう自由が減っちゃうんだろうかって。やっちゃんが自由になるために兄弟たちの自由を少しずつお裾分けする未来が来るのだろうかって。でも気遣い屋さんなところがあるやっちゃんだから遠慮する様子も容易に想像できる。

やっちゃんには自由に生きてほしい。
やっちゃんらしく生きられるような環境づくりを、お姉ちゃんは全力で手伝いたいと思い立った。

具体的にどういうこと

全然わからない。
キーワードは「居場所づくり」「活き活きとした環境」「自分らしさ」

社会の障害があったとしても、どうにかしたらきっとその障害は越えることができると信じている。いわゆる健常者と区別される人たちにも、得意不得意があって当たり前で、誰もが「自分の得意なこと」で輝ける社会になったらいいのにというのが私の理想。そこに障がい者も健常者も区別はいらないと思う。

色々分類したがる社会があるけれど、分類がないほうが楽に生きられるかもしれないと思うことがある。多様性の社会。「多様性」という言葉が良くも悪くも乱用される社会。少し嫌気がさしてきている。
「十人十色」と表現したいかな~~
みんなちがってみんないい、との言葉を残した金子みすゞさん、尊敬します。

この前、アンメットというドラマを見終わった。
後遺症で毎日、昨日以前の記憶を失くしてしまう主人公の脳外科医は、後遺症がある自分だからこそ同じように後遺症に苦しむ患者さんに寄り添い、自分ができることに向き合って奮闘していく物語。その中で、「理解してくれる環境の大切さ」が強調されているドラマだと思った。

私の中で「理解=受容」という認識があり、「理解して受容してくれる環境」がどれだけ大切か、これは後遺症の有無、障がいの有無に関係なく、誰にでも当てはまることなのではないかと思った。誰にでも人に言えない悩みはあるだろうし、得意なことや苦手なことがあって当たり前だし、みんなそれぞれが孤独を感じていて、脆くて、頑張ってて。

文章がぐちゃぐちゃになってきたけれど、「理解して受容してくれる環境」という意味で、「居場所づくり」に携わりたいという想いも強い。

ここまでの私の思いを形にするためにはどんな方法があるのか、これからの人生目標、夢を見つけた。

やっちゃんが活き活きとできる環境をつくりたい、誰かの居場所をつくりたい…そんなことを考えている。
ふわふわしてるけど、最近はそんなことを考えながら生きている。
なんだかわくわくする。実現したい。

お姉ちゃん、頑張ってみる!!!

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