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母が自殺した時の年齢と同じ年齢になった私

私の母は、
ある日突然この世を去った。

それは冬の寒い日。

なんの前触れもなく、
突然自殺という方法で死を選んだ。

母が死ぬに選んだ日にちは、
12月19日。

そう、
このnoteを投稿している今日なのだ。

あれから22年が経過し、
19歳だった私は41歳になった。

母が自殺した時の年齢は41歳。

当時の母と同じ年齢まで、
苦しみを抱えながらも生きることができた。

私は正直不安だった。

19歳といっても、
まだまだ中身は子ども。

心が大人になりきれていない状態で、
母は自殺をした。

衝撃的だった。

事実として認めたくなかった。

どうせなら自分も死にたいと思った。

昨日までの会話はなんだったんだ?

どうして置いていくんだ。

いろんな感情でがんじがらめになり、
食事が喉を通らない。

ただただ痩せこけていく。

命ってなんだろう?

命とは、
人を悲しませるものなのだろうか?

命とは、
苦しみを与えるものなのだろうか?

生きていても何も楽しくない。

きっと私も、
40代になったら母と同じように死を選ぶのだろうか。

それだけは避けたい。

だけど、
私も母と同じように死を選びそうで怖かった。

母が自殺した年齢と、
同じ年齢になるのがとても怖かった。

そして今日、
母が自殺した日。

母が自殺した時の年齢と、
私の年齢が一致した。

不思議と、
あの時の恐怖感は存在しない。

40代になるまでは、
あんなに恐れていたのに。

命って不思議。

同じ命なのに、
授かれば嬉しく失えば悲しい。

命を終えた人は、
何を思うのだろう?

そして、
自殺を選ぶ人は、
息を引き取る時に満足ができるのだろうか?

息を引き取る寸前で、
もしかしたらもしかすると、
「やっぱり生きたい」と考え直すことはないのだろうか?

自殺に限らず、
どんな死に方でもそこに後悔だけは残って欲しくない。

私は自死遺族だけど、
自殺に否定的な意見はない。

なぜなら、
自殺をしなくてはならないほどに苦しめられてきた、
その背景が重要だと考えているからだ。

自殺する人には、
いろんな理由があると思う。

いじめ
介護疲れ
職場
人間関係のトラブル
借金
病気

挙げたらキリがない。

死ななければその問題から逃げ出せないぐらい、
当事者は苦しんだことが考えられる。

死ぬ以外に解決方法が見出せないほど、
自殺する人は苦しんできた。

そんな人に、
自殺したことを責める気持ちにはなれない。

それに自殺を真剣に考えている人に、
死なないでと言えるはずもない。

死にたい人に死なないでということほど、
残酷な言葉はないと思う。

まず、
死にたくなった背景をしっかり聞き。

死にたい気持ちを理解してあげる必要がある。

人間はいつだって、
自分の話を聞いて欲しい生き物。

そして、
自分のことを知って欲しいと常に思っている。

それが叶わなかった人が、
命の火を消してしまうのだろう。

自殺を選ぶ人は、
他人の意見を聞けないぐらいな精神状態だと考えられる。

そんな人に、
理性でどうにかする気持ちの余裕なんてない。

私の母は22年前の今日、
自宅トイレで首を吊って死んだ。

その日から22年が経ち、
私はその時の母と同じ年齢になった。

私は母にこう言いたい。

死んで満足できたなら、
あなたの決断は間違っていなかったよ。

最後に、
人が人にあたたかい世界になって欲しいとつくづく思う。

憎しみ合ったり戦ったり、
悪口言ったり貶したり。

そんな汚い心を持つ人が、
自分の心の汚れに気づいて欲しい。

自殺を止めるには、
心の汚れに気づかない人を救う必要がある。

心の汚れている人は、
心が綺麗な人の心を汚していくからだ。

心が汚れている人が、
他人の心を汚さないようにするには。

どんな人にも自分の存在をわかってくれる、
味方のような存在が必要なんだろう。

自分を大事にする人は、
他人からも大事にされる。

そして、
自分を大事にする人は、
自分を大事にしない人と距離を置くことを考える。

生きている限り人間関係は終わらない。

だからこそ、
互いが思いやりを持てる世の中になって欲しい。



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松永春奈
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