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あるカフェと、ある日の話
就職して数年目の冬。
片付けても片付けても
止めどなく仕事が飛んできて、
覚えることも勉強したいことも
山のようにあって、
上司のきつい物言いが
優しさ故だとわかっているのに堪えて、
やっと片付けたと思ったのに
トラブルが起きて水泡に帰すし、
正気かと問いたくなるような
信じられないことを言い出す人もいるし、
計画立てて進めているのに
プライオリティの高い仕事が飛び込んできて
しっちゃかめっちゃかになるし。
経験も、知識も、実力も、余裕も、
何もかもが足りていなかった私は、
とにかく必死にもがいて
なんとか日々を乗り切っていた。
そんな時にはよく、
残業時間帯の休憩時間に、
職場近くにあるカフェに駆け込んでいた。
オフィス街にひっそりと佇む
まるで隠れ家のようなそのお店で、
コーヒーカップを
両手で包みこむように持った時に
てのひらから直に伝わる温もりや、
ごくりと飲み込んだコーヒーが通った箇所が、
じんわりと体の内側から
温かくなるのを感じると、
なぜかとてもほっとして、
時折ほんのちょっとだけ、
目に涙を浮かべることもあった。
先日、家から少し離れたところにある
カフェを訪れたら、
初めて入ったお店のはずなのに、
オーダーを取りに来た店員さんの顔に
なんだか見覚えがあった。
お互い、同じようなことを思ったのか、
お互い、不思議な表情を浮かべた後、
店員さんがはっとした顔をして言った。
「僕のことわかります?
以前〇〇(店名)によくいらっしゃってましたよね?」
そう、彼はあの頃私が
駆け込んでいたカフェで、
アルバイトをしていた方だったのだ。
彼は、あの後もあのお店で勤め、
現在は私が偶然訪れたこのカフェの
店長を任されているのだと、
少し誇らしげな様子で教えてくれた。
当時ぼろぼろになった
情けない姿で駆け込んでばかりいたから、
なんとなく気恥ずかしく思いつつも、
変わらぬ穏やかな笑顔で
立派に店長を務めている彼の姿を見て、
月日が流れたんだなぁ、なんて思った。
けれど私は私で、
もう今はあの頃と同じ状況に置かれても、
もがくことなく淡々と
仕事を進められるようになっていることに
改めて気づいたのだ。
今思えば、あの日々があったから、
今の私はあるのだけれど、
”それにしてもしんどかったなぁ”と、
過ぎた日々に思いを馳せるきっかけになった、
ある日のお話。