毒親を諦めた話
「どうして○○してくれなかったのか」
これは毒親育ちが共通して抱え続ける感情の一つであろう。
かくいう私もその感情を母親にぶつけ続けてきた。
父親は本当にどうしようもない筋金入りのモラハラ男だったから諦めていたけれど、
母親はデリカシーがないだけで、子どもに対して愛情があるのは確かそうだし、話せば分かりそうだったから。
ただ、私の求める答えを母親は持っていなかった。
「覆水盆に返らないので、そう言われてもどうしようもない」
の一点張りだった。
違うのだ。私はただ分かってほしいだけなのだ。
「あのときはごめんね、嫌だったんだね」
その一言でどれだけ救われただろう。
しかし、その言葉がすんなり出てくるような親だとしたら、こんな事態は招いていないだろう。
私は日々盆をひっくり返していた。
無益だろうとは分かりつつも、それ以外に救いの道が見えなかったから。
しかし、今日気がついた。
もしかすると本当に、全く話が通じていないのではないだろうかと。
今まで私は「双方が建設的に話をすれば、この問題は解消する」と思っていた。
だから母親が話題を逸らすのは、彼女の怠慢から来るものとして捉えていた。
どうやらそうではなかった。
私がベースとしている考え方のコードと、彼女のそれがまるきり違うのだ。
私は「どんな問題であれ解決を図るのが最良の道である」という努力信仰的な考えに立っているが、
母親は恐らく、「過ぎたことは振り返らずに今を楽しみたい」という享楽的な考えに立っている。
ここにディスコミュニケーションの核がある。
「努力」を大切にしている者からすると、享楽は努力を怠っているようにしか見えない。
だから私は、「『やればできるはずなのに』説明を怠るのはなぜか?」という疑問を抱える。
しかし母は、「『説明を重要だと思っていないから』説明をしない」だけなのだ。
このことに気づくのに20余年かかってしまった。
母がなぜ努力を怠るのか私には理解できなかったし、
努力を怠っているわけではないことを母は説明できなかった。
多少なりとも互いに好意があるのなら話せば分かると信じていたが、
どうやら人間とはそう単純なものではないらしい。
ずっと母親への愛着とそれに伴う期待を手放せなかったが、良い意味で諦めがついた。
言語が違う人間と通じ合うのは土台無理な話である。
彼女が私と同じ言語を持たなかったことを、いい加減に認めよう。
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