親の頭の悪さに耐えられない
自分を生んだ偉大なる存在であるはずの、親。
その親が、自分より遥かにおつむが弱いのではないか、と気づいたとき、
すごくやるせない気持ちになった。
子どもというのは多かれ少なかれ親に愛されたいと願うものであり、
私は幼少期にその願いが満たされなかったがために、
大人になった今でも愛されたい願望を引きずっている。
ところが悲しいことに、どう試みても話が通じない。
有り余る私の感情をできる限り言語化してみても、
親の方にはそれを咀嚼する能力と、扱う視野の広さが欠けているのだ。
思えば昔から私の願いは親に通じた試しがない。
親の精一杯が、私には努力不足であるように見える。
いつか親になれば気持ちが分かる、と言われても、
私はもっと上手くやれるだろうから、気持ちが分かる日なんて来ないだろう。
子どもの頃に埋められなかった齟齬は、
私が成長するにつれて、親が老いていくにつれて、どんどん大きくなる。
いくら頭が悪くても、子どもの感情を汲むことくらいできるのではないだろうか。
それすらできないのが、頭が悪いということなのだろうか。
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