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離島で生きるハリーの自己紹介

「そういえば、ぼくって自己紹介していなかったな。」

と不意に思ったもので、ここに記しておきたいと思います!

※随時更新していきますー(多分、色々起こりうるもので。笑)。

◆基本プロフィール

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✔️名前:針谷 広己(はりや ひろき)
✔️年齢:25歳(1995年8月24日生)
✔️出身地:東京都 八王子市
(北島三郎・ヒロミ・フワちゃんといった多数の著名人を輩出している、都内屈指のベッドタウン)
✔️居住地:長崎県 対馬市
(日本本土より韓国・釜山の方が近い、国境の島)
✔️仕事:離島公務員(地方公務員)
    行政ソーシャルワーカー(社会福祉士)
✔️【広己】という名の由来が分からない人間

◆経歴

◯ 出生から里親さんに出会うまで

シングルマザーの実母の長男として東京都荒川区に生まれる。2歳までは実母の下で育ったが、児童虐待(ネグレクト)の疑いがあり、実母の双子姉が東京都北区児童相談所に通告し、一時保護の身となる。
その後、赤十字子どもの家という児童養護施設で1年ほど過ごし、4歳の誕生日を迎えた暑い夏の日に里親家庭に引き取られる。

◯ 里親家庭で育つ身として

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大学を卒業する22歳までの18年間を、里親である坂本洋子さん一家で過ごす。みどり幼児園、八王子市立山田小学校、工学院大学附属中学校・高等学校と進学する。

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里子である当事者として、高校2年生から大学卒業までの間は当事者活動にも精を出していた。

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大学生の頃には当事者としてメディアに取り上げられたこともある。
高校卒業後は、社会福祉士を目指すべくルーテル学院大学に入学する。浪人生活なく4年間で無事に卒業し、念願の社会福祉士(国家資格)を取得する。

◯ 大学卒業後に移住して

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大学卒業後は、学生時代に出会った対馬に移住する。移住と同時に新卒で長崎県 対馬市役所に入庁する。

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現在は対馬市地域包括支援センターに社会福祉士として勤務する傍ら、大学時代に出会った国境離島・対馬で絶賛活動中。

◆ ぼくを支えている要素

◯ 社会的養育の当事者(里親家庭で育った子ども=里子)として

 それは、血縁関係のない生き方を教えてくれる経験だった。
 赤の他人だけど本当の家族のような存在に出会うことで、家族というカタチを大きく広げることができた。ぼくにとっての家族は、血縁は関係なく詩人を囲んでくれる人たちだ。だからこそ、外の世界に、身近で言えばよそ者として地域に、職場から他職場や他分野に、飛び込むことができているのだと思う。
 そして、当事者意識が、今住んでいる離島で役に立っている。「自分ならどうするか。」という意識を、職場になった市役所や地元の消防団を中心に、地域で生きる1人として、持つことができている。
 つまりは、1人のプレーヤーとしての姿勢でもある。目の前の事柄を自分事として捉え、動いていくスタイルをぼく自身にもたらしているのだ。
 それに、実母から広己という名前の由来を聞いたことがないのは大きな経験だった。でも、名前の由来がわからないからこそ、ぼく自身が持つ個性を大事にしたいし、自身の姿を自ら作りあげながら名前の由来を見つけたいと思っている。

◯ 社会福祉士を志した身として

 大学では社会福祉学(主には地域福祉学)を学び、社会福祉士という国家資格を取得し、現在に至る。高校生の頃にフィリピンやネパールで隣近所の付き合いやストリートチルドレンの子どもたちを間近で見て、「誰かを支えるためには、専門性が必要不可欠だ。」と悟ったことがきっかけだ。
 でも、「専門性とは何ぞや?」という疑問を問いかけつづけている。そして、専門性に掘り固まった専門職の立ち位置や姿勢に対して、NO!!と言いつづけている。
 だって、医療福祉分野が人々の生活を全てカバーしているわけではないのだから。それに、多分地域や目の前の人を変えていくのは、そこの1人1人であると思う。だからこそ、社会福祉士として門戸を広げておきたい思いが強く、ぼく自身には様々な分野を横断的に行き渡るスタイルが存在しているのだ。

◯ あれほど嫌いだった公務員になって

 「公務員は頭が硬い。」「行政は本当に必要なことができない組織だ。」そう思い過ごしていた大学生活。しかし、「離島で生活し、離島に生きる人々のために働きたい。」という思いが芽生え、大学卒業後すぐに市役所の門を叩いた。目の前の人に向き合う生き方を実践できると信じていたからだ。
 だからといって、従来の公務員像を肯定しているわけではない。従来のステレオタイプや決まった枠に入らない公務員像を追求したいのだ。公務員のキャリアは多様化しているし、ぼく自身は終身雇用や職業安定というイメージから脱却していきたい。
 その上で、「目の前の離島で生きる人たちと一緒に地域を作っていきたいし、お互いに助け合っていきたい」と思っている。
 それに、かつて福祉行政に助けられた当事者として、行政機関の属すことに意味がある。アドボカシーや当事者意識といったテーマで非常に重要なピースになると思っている。

◆ 趣味

・スポーツ観戦
・街歩き、フィールドワーク
・写真/動画撮影
・人との出会い
・デザイン
・情報発信

くらいかなー。東京から対馬に来てからは、一眼レフや動画用カメラを使いはじめて、趣味が広がったかな。

「これ!!」といった趣味はなく、周囲からは飽き性だと思われがちだけど、これだからフットワークの軽さが機能しているのだと思っている。

◆ 強み

・フットワークの軽さ
・体力!?(滅多に風邪をひかない。笑)
・興味/関心の多様さ

ぼくの強みってあまりないと思っていて、フットワークの軽さが何かと言いふらしている強みかな。

というより、今になって自分の強みを意識してこなかった気がする。「ありのままの自分」が1番の強みだと考えているから。

◆ 今やっている取り組み

平日は、対馬市役所内にある対馬市地域包括支援センターに社会福祉士として働いている。

週末になると、島内外を飛び回りながら、フットワーク軽い系としてできることに取り組んでいる。

特に、オンライン市役所に参画したり、よんなな離島会を立ち上げたりしている。

それに加えて、FacebookやInstagram、このNoteにて、離島公務員&行政ソーシャルワーカーとしての生き方を発信しつづけている。

↑ここから、各SNSに飛ぶことができるので、ぜひクリックしてほしい!

「自分の生き方を誰かに見せたい。」という思いは、自分らしさを重視できている証拠だと思っている。

◆ Noteでしたいこと

1.情報発信しつづけたい。

Noteを始めたのは、まさに情報発信の場がほしかったから。
離島という本土から遠く離れた土地にいても、ここなら距離感を感じずに発信できると信じている。

さらに、公務員という公の立場から発信できることに魅力を感じている。公務員で、さらに本名で発信することで得られるものも多いはず。

今後もこのNoteから発信できることは発信していきたい。

2.自分探しがしたい。

あれこれ多分野を横断的に動いているためか、「はりやって、一体何者なの?」というレッテルが貼られている気がする。

というより、むしろぼく自身が積極的に貼り付けている。

昨年3月に掲載された記事を読んで、こう思ったから。

これからの世の中、組織に属している人としての価値よりも、個人としての価値の方が大事だ。

「離島に生きる公務員」「ただの公務員」「行政ソーシャルワーカー」「なんちゃってソーシャルワーカー」とか、あえて色々な肩書きを付けている。

でも、今のぼくとこれからのぼくが「何をやっているのか」「何を目指しているのか」「何を伝えたいのか」綴っていきたい。

そして、ここに綴っていきながら、気づかなかった自分自身の姿を、自分自身の可能性を探求していきたい。

3.モチベーションの糧にしたい。

このNoteに綴ることで、自分自身の力にしたいし、生きるモチベーションを維持したいと思っている。

「誰に、何が見せられるか、何を伝えられるか。」まだまだ未知数。

けれども、ぼく自身が訴えることで、自身の周囲や社会全体がどんどん変わっていくだろうし、それを面白がりたい。

それを、明日へ生きるモチベーションにしていきたい。 

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