犀の角のように
週末はドタバタしてしまって、記事を書くのが途切れてしまった。書くことが習慣化していないのと、根本的にネタに困っているのだから忘れがちになる。そんな言い訳の日曜日は義父の一周忌法要だった。
いつものお寺で、いつものように40代と思われる御住職が、いつものように見事にお経を唱えてくださり、いつものように最後に説法というのだろうか、お言葉をいただいた。
お釈迦様(お釈迦様とブッダは同じか?)が言われた言葉に「犀の角のようにただ独り歩め」という教えがあるのだと言う。曰く、歳は犀は成長すると群れることなく、犀の角も一つで歳と共に大きく成長してゆくということから、人はそれぞれ自分の道を歩んで成長していかなくてはならない、というような教えだと。そう言っておられたと思う。
無信仰で不信心な私は、恥ずかしながら、これまで聞いたことがなかったが、分かりやすく覚えやかったことから、少しネットで調べてみると、かなり有名な言葉のようで、何かのブッダの言葉を集めた文献の「犀の角の節」には「犀の角のようにただ独り歩め」という文言で締められている詩句が40も収められているのだそうだ。
お坊さんのブログから拾わせていただくと、「最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力を具え、犀の角のようにただ独り歩め。」「音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。」「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」
犀の英語のrhino/rhinocerosも、確か、古くて変わらないものの例えとして使われていた気がするし、進化をしていない古い種で視野も狭いとか、犀のイメージは決して良くはないが、仏教ではなんだかとても尊いようだ。
それにしても、「犀の角のようにただ独り歩め。」と締められた詩句は、なんとも味わい深く、考えさせられるし、自分のライフスタイルには合っているように思う。