見出し画像

「バカ本」セレクション ① 『バカ論』

 私の叔父は「バカ」という言葉が好きだ。生来の口癖になってしまっている。頻繁に言うのは「何やってんだ、バカ!」や「そんなこともわからんか、バカ!」である。あるいは時間が迫っているのにグズグズしていると、「遅いなあ、何やってんだ、あのバカ!」と言うのだ。もはや叔父にとって「バカ」という言葉は一番使いやすい。

 書店に足を運べば、「バカ」というタイトルがついた本が書棚にも平台にも目につきやすい所に置いてある。叔父はこれらのタイトルの本を見ると、胸がキュンキュンしてしまう。どれだけ「バカ」が好きなんだろうか。

 そこで私は「バカ」本の中から選りすぐりの作品を5つ紹介することにする。これまで収集してきた本は40冊以上に上る。これだけバカ本が世の中に溢れると、つまらない社会に対して言いたいことが山ほどあるというわけだ。

 最初に取り上げるのはビートたけし氏の『バカ論』(新潮新書)だ。ビートたけし(北野武)氏は芸能界に居を構えながら、数々のバカな例を見てきたことから「しょうがねえなぁ。」とため息交じりで論じている。特に「やりたい仕事がない。」と嘆く若者に「夢を諦めるな。」と励ます大人のバカさ加減に呆れている。

< 大体周りの大人もいけない。
 「夢をあきらめちゃダメだ。希望を捨てずに努力をすれば、きっと夢は叶う。」
ー なんて、安っぽい曲の歌詞みたいなことばかり言ってるからダメなんであって、現実を直視させなきゃいけない。何が「SAY YES」だ。「NO」と言えなかったから、ああなったんだろう。そんな欺瞞にみちた言葉に騙される奴がたくさんいるから参っちゃう。(中略)
 おためごかしで「夢をあきらめないで」「希望を捨てちゃダメだ」「君はもっと強くなれるよ」なんて、甘っちょろいことを歌っている奴を信用しない方がいい。それを真に受けて社会に出て、すぐに「こんなはずじゃなかった」「やりたい仕事がない」って、本当にバカ野郎だね。>

ビートたけし『バカ論』新潮新書 p.92-93

 この直言と同じことを主張するのは言語学者の永井忠孝氏だ。『英語の害毒』(新潮新書)の中で、夢追い人がもてはやされる背景として、個性重視の教育があだとなったと指摘する。

< 個性重視がうたわれるようになった一九九〇年代後期以降、これが大きく変わった。教育社会学者の荒川葉が『「夢追い」型進路形成の功罪』(東信堂、二○○九)で報告するように、今では、学力上位の高校と下位の高校では、進路指導のあり方が大きく違う。
 上位校は従来と変わらない。それぞれの生徒の学力に見合った大学に進学させようとする。俳優になりたいとか漫画家になりたいという生徒にも、まあとりあえず大学に行っておけ、と指導する。
 一方下位校では、生徒が見つけた夢をそのまま受け入れるようになった。「ミュージシャンになりたい?じゃあ 音楽系の専門学校に行けばいいよ」「お笑い芸人になる?そうか、夢が見つかってよかったね」と、生徒の夢をそのまま肯定するようになった。ミュージシャンを目指すのも個性、お笑い芸人になりたがるのも個性というわけだ。
 このように全く異なる進路指導をするようになった結果、生徒の希望する職業が、上の学年に上がるにつれて学力上位校と学力下位校で大きく異なるようになった。上位校では、一年次から三年次まで進路指導を重ねていくことによって、ミュージシャンや俳優やデザイナーなど、人気はあるがなりにくい職業の希望者が減っていく。それに対して下位校では、そういった職業の希望者が逆に増えていくのだ。
 こうして、個性重視の教育は、自分の個性に根拠なき自信を持った"夢追い人"を多く生み出すことになった。しかし、ほとんどの夢追い人は夢をつかむことができない。彼らはフリーターや非正規のような不安定な仕事をしながら、夢を追いかけることになる。>

永井忠孝『英語の害毒』新潮新書 p.154-154

 要するに、最初から「夢なんて持つべきでない」「希望なんて当てにならない」との結論を下している。

 だが、二人に問う。二人はやりたい仕事をやれているのではないか。ビートたけし氏はお笑い芸人として下積みを重ね、漫才コンビ「ツービート」で大ブレイクした。漫才界から退いた後、テレビタレントとしてメディアに引っ張りだこになり、「世界まる見え!」や「ビートたけしのTVタックル」など数々の冠番組で司会を務めてきた。さらに俳優業もこなす。ヤクザ映画を作って映画監督としての才能を発揮した。「世界のキタノ」と賞賛されるようになったではないのか。その割には保守的な態度であろう。

 永井氏も言語学に興味を持ち始め、東京大学で言語学を専攻した後にアメリカに留学し、言語文化研究に進んだ。その過程でエスキモーの言語学の生態に興味を示し、フィールドワークを行ってきた。過酷な調査だったと思うが、現地のエスキモーたちとの談話を通じて英語による植民地支配が浸透していることに気づき、帰国後に論文や著作などで問題提起をしてきた。言語文化という研究領域を通じて人類の共生をどう築いていくべきかを明らかにできた。単に英語一本だけでは生き残れず多言語教育の必要性を訴えてきたわけだろう。その点では言語学に関心があったからこそ、研究者という道を開いたのではなかろうか。

 その二人が「夢を追う」など馬鹿馬鹿しい選択をするなと言う。だったら、大人は初めから夢の話を持ちかけるべきではないと思う。学校の授業で「将来の夢」について皆で話すなんて愚の骨頂だろう。

 小学校の教師が国語の授業で「あなたたちの将来の夢について次回の授業まで考えてきてください。」と言われたとしよう。発表当日、生徒が黒板の前で考えてきたことを述べる。

「 ぼくは 将来 会社に入って定年まで40年か50年間働き続けたいです。 

 このような答えを聞いたら、どう思うか。また、別の発表者もこのように答える。

「 わたしは まず会社に入って働いて 高収入の男と結婚して 専業主婦になります。 」

 こう答えたら、どう思うか。これでは昭和時代の性別分業モデルと何ら変わっていないだろう。この後の発表でも同じように子どもは答える。異様な光景だ。教師たちも驚きを隠せなくなる。
 ビートたけし氏や永井忠孝氏も子供たちの声を聞いて、「素晴らしい!」と賞賛するだろうか。明らかにおかしいだろう。

 あるいは、テレビでアンケート調査を行っている小学生の男の子と女の子がなりたい職業ランキングがあるが、あれも廃止すべきだ。「会社員になれるならどこでもOK」という話でまとまりがつくからだ。その際は、子どもたちに適性検査を用いて、適職になる方法を見つけたほうが得だろう。

 因みに私は最初から夢や希望なんてなかった。子どもの頃から後ろ向きな性格で何をしても意気消沈していた。鉄道が好きだったから、鉄道会社に入って運転士になりたいなとぼんやり考えていた。だが、現実は早朝から深夜まで働いて、非番を挟んでまた長時間という変則的な勤務だから、睡眠リズムが悪い私にとってきついものだと感じ、やめといた。

 気がつけば、私は3K労働に近い製造会社で働いている。大学で英語コミュニケーションを学んだのに、「コミュ障」だと自覚してからサービス業が適さないと判断した。おまけに言うと、そんなに頭は良くない。もし私が頭脳明晰でコミュ障でなく明るい性格の人間だったら、英語教師でも英語研究者でも何でもなれたのに、と今更ながら思う。


<参考文献>

ビートたけし『バカ論』新潮新書 2017
永井忠孝『英語の害毒』新潮新書 2015



いいなと思ったら応援しよう!

ハリス・ポーター
ご助言や文章校正をしていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

この記事が参加している募集