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手術を乗り越えた娘が学んだこと

無事に退院しました

先日、二週間の入院生活を終え、無事に次女とともに退院してまいりました。

次女の入院話はこちらにも。

今回を入れると、すでに4回の手術(全身麻酔するおおがかりなやつ)を経験したことになる次女。手術なんて非日常なできごとであるにも関わらず、これだけ短期間(出産後すぐからの二年間)で繰り返すと親子ともども「慣れて」しまって…。入院期間も、おかげさまで快適に?過ごすことができました。

とはいえ、とはいえです。小さな身体には、きっと大きなストレスがかかっていたのでしょう。急な環境の変化もあってか、退院してきたその日は自宅の中でもあまり動こうとはせず、その日の夜には、発熱もしました。(翌朝には下がってました!)

私が感じる、理解する以上に、きっと様々なことを感じて、吸収して、生きているのだろうと彼女を観察していて感じます。

語彙爆発

2週間の間にめまぐるしく増えたのが、言葉の数。2歳を迎えるまでは、どちらかというとゆるやかに言葉が増えていった次女ですが、ここにきて日増しに語彙が強化されています。二語文もさることながら、三語文もどんどん出てくる…。今なら何を教えても吸収してしまいそうだなぁと、すぐにものを忘れてしまう私なんぞはうらやましくもある…。

「え、そんな言葉どこで覚えた?」というものから、「うわぁ、これは私の口癖がうつったよな。」と思うものまで、こちらが「はっ」と驚くようなことを口にすることが最近とみに増えました。

ごめんね、いたかったね

これは、退院してきたその日、家の中のおもちゃで遊んでいたときに、次女が言った言葉です。自分が遊んでいたぬいぐるみが、机の上から落ちてしまった。それを見て次女が言ったのが

ごめんね、いたかったね。

だったのです。既視感を覚えた私。はて、この言い方は、どこで聞いていたのだったっけ。

いっとき頭をめぐらせて、あぁ、そうだそうだ、これは入院中、次女が看護師さんに、毎日のようにかけてもらっていた言葉だったのだ、と思い至りました。

採血や、レントゲン撮影の際に身体の動きをおさえるために、抑制帯を付けるとき。術後の細菌感染を防ぐべく点滴を入れるとき。朝夕の検診の折、違和感の残る傷口を先生に見せるとき。

「ごめんねぇ、痛かったね!もう終わりだよー。」と、看護師さんや先生方にその都度言われ、次女は痛みや不快感を耐えてきたのでした。

それを覚えていたのかな?確証はないものの、そんな気がしています。入院前には、そんなこと、言わなかったから。

ぬいぐるみが落ちた。ぶつけたところはきっと、痛かったろうな。そんなときはこう言って声をかけてあげたい。

ごめんね、いたかったね。と。

次女はそんな風に、感じたのでしょうか。

痛さとやさしさを知れたなら

手術はとっても辛いことです。心身ともに体には負担が伴います。日本の医療技術は進歩しているとはいえ、麻酔や使用する薬にはリスクも伴う。身体にメス入れて骨削るって…まぁまぁな一大事です。

その痛みを思うと、胸の痛みはなくなりませんし、できることならやっぱり、させたくはないよねって親心で思っていました。

でも。

もしも次女が、痛いときに声をかけてくれた人のことを覚えていたら。その時にかけてくれた言葉で、いくぶんか気持ちが和らいだことを知ったのだとしたら。それこそが「やさしさ」なのだと知ることができたなら。

何度も乗り越えた手術が、彼女にとってこれからを生きる上での糧のひとつになるのではないかと願ってしまいました。

自分がもらったやさしい言葉を、同じように「痛い」思いをしている人に、かけてあげることができるなら、それは尊いことなのではないか。

自分勝手にいま、私はそう感じています。

ごめんね、痛かったよね。

その言葉を使うとき、私はきっとこれから、次女のことを思い出すのだろうなぁと思っています。


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